正しい年の取り方

人生に迷うアラサー男が年相応になるまでの雑記

価値と価格は別物でしょう

価値とは何だろうか。

 

専業主婦の年収は○○円という記事がよく見られる。大体300万円、1,000万円、1,200万円と金額は安定しない。

でも、本当にそうならアウトソーシングすれば良いじゃないかと思ってしまうのは私だけではないはずだ。

家事代行はもっと安いのだから、そこに頼んで主婦(主夫)に働いてもらった方が経済的だろう。

 

でもそういうことじゃないんだと思う。価値と価格が一体化されているからこんなことが叫ばれるようになったのではないか。

 

ということで、今回は価値と価格について触れたい。

 

価値とは受けとる側の満足度である。そして価格とは文字通り買うときの金額だ。

 

例えば商品(食品)の場合、買ったときに支払った金額が価格、食べたときに得られた満足度(美味しいとか見た目がおしゃれとか)が価値である。そして消費者は価値≧価格となったときに良い商品だったと思うのだ。

 

ちなみに私はマックのハンバーガーは100円の価値を感じるから100円で買うが、モスは340円で買っても300円しか価値を感じられないのであまり買わない。美味しいんだけどね。

 

では家事についてはどうだろう。

 

先に言うと、価格をつけるとどう足掻いても家事代行程度なのだ。だが、価値はそうじゃない。家事の価値はその家族ごとに定義すべきもので、一様には言えない。だから冒頭の年収1000万円に値するとか金額がバラバラに話が蔓延するのだろう。

 

逆に家族の誰かが「専業主婦(主夫)には価値がない」と言っていたら、その人の家庭では家事が軽視されているか、まともにされていない可能性がある。

 

家事を行うことには意味(価値)があるっていうのと年収という価格の概念を同一視しているから違和感を覚えるというのが私の主張。だが、価値と価格を同じものとして認識している人が世間では多数派なかもしれない。

 

 

価値=価格ではいけない。自分という人間の価値も下げることになるからだ。

 

そう考えるということは、時給2,000円で働いている人は「自分は時給2,000円の人間だ」と思うことになる。自分を切り売りしてるのと同じだ。

 

だが、実際はそうじゃない。我々は時給に囚われず価値を産み出せる人間なのだ(そうでなくては生きる意味がない)。

 

それに正直、価値=価格と思っている人と話すと頭が痛くなる。「モスは340円で売っている!だからマックよりもモスの方が価値があるに決まってる!モスの方が美味しいし!」と言う人は私の家族にもいるが、価値=価格の弊害だと思う。違うでしょ。価値は消費者それぞれの価値基準(商品に何を求めるか)に基づき異なるのだから、断定するのも押し付けるのも違うのだ。

 

そういう認識の人が減れば(私にとって)生きやすい世の中になるだろう。

 

ただの愚痴だったね。