正しい年の取り方

人生に迷うアラサー男が年相応になるまでの雑記

データを削除した話

あなたの大事な人はすぐ頭に浮かぶと思う。では、大事なものは?

 

昨日、職場のノートパソコンに別れを告げた。

 

別に私が退職するわけではない。ノートパソコンの方が、交換時期を迎えたのだ。私の会社では一定期間で備品を交換していくことになっている。

 

この職場に異動してきてから2年半以上、ずっと向き合ってきたノートパソコンだ。親の顔より見た立ち上がり画面、親の声より聴いた起動音。外に出ている時以外はずっと一緒だった。いや、たまに一緒に外に行くことはあったね。ネットにはつながないけど。

 

色んなソフトをインストールした。どれも仕事で使うものだが、他の人のノートパソコンには入らない、私の仕事にしか使えないソフト。

 

今思えばもっと大事に扱ってあげればよかったかもしれない。分かってくれないお客さんへのいら立ち、うまく伝えられない自分の不甲斐なさ。そういったものをEnterキーに叩き込んでいた。力だけではなく、気持ちも込めていた。職場で私の表情を一番知っているのはこのモニターだ。

一人で残業しているときに漏れるため息、思わず出てしまう独り言はきっとこのノートパソコンにしか聞かせられない。

 

「Gき」のキーが外れたこともあった。治してもらったのは去年だったね。あの時はまだこの日が来ることを考えていなかった。そして今も、それをちゃんと受け止めているとは言い切れない。

 

どうしてお別れなのだろう。まだまだ使えるのに。何かトラブルがあったわけでもないのに。そしてなぜ私は感傷的になっているのだろうか。胸がきゅっと締まる。

 

ノートパソコンは、中にあるデータをすべて消してから交換に出すことが決まっている。データを消すためのCDをセットし、マニュアル通りに手順を踏んでいく。難しくもないのに何度か間違えた。これは本当にただ間違えただけなのだろうか。

 

正しい手順を踏んでいくと、データは消えていく。

祖父の葬式のときには泣かなかった私は、ここでも当然泣かない。だが、人も物も看取るときには気持ちが奪われていくものだと感じた。

 

データの消去には時間がかかる。私は消えるまでの間、代わりにやってきた新しいノートパソコンの設定に取り掛かることにした。私も社会人の端くれだ、時間をあからさまに無駄には出来ない。

 

しかし、手に着かない。新しいノートパソコンに慣れていないのもあるが、それだけじゃない。データを今まさに消去しているノートパソコンのことが気がかりだ。

こんなのまやかしだ、保有効果が働いているだけだ。

 

データ消去には2時間半かかった。終わってみればあっけないもので、CDを取り出しておしまいだ。

かくして私のノートパソコンは息を引き取り、私と過ごしてきた記憶、記録が失われたのだ。やっぱり少し寂しい。

 

新しいノートパソコンとはこれからどれだけ思い出を作れるだろうか。きっと私の異動の方が次の交換より早いと思うが、その時を迎えるまで、一緒に過ごす時間を大事にしていきたいと思う。

 

今までありがとう。