正しい年の取り方

人生に迷うアラサー男が年相応になるまでの雑記

過去の自分を救うために

こんばんは。

今日はこのブログを開設し1周年らしい。1年間で163記事だから、2~3日に1回くらいのペースで投稿しているんだね。

今回1周年だからといって特別なことを書くわけではない。最近あった嬉しかったことから感じた自分の変化をつらつらと書きたい。最初から最後まで自分語り。

 

喜びを素直に表現できるようになった

最近、良いことがあった。土曜日に取引先との懇親会があったのだが、その場で受けた「肌が綺麗」という言葉が嬉しかった。視力が悪い人が裸眼でも分かるくらい気持ち悪いにやけスマイルをご披露してしまった。

 

dramadmara.hatenablog.com

 

 

肌が綺麗なんて言われて喜ぶのは今の時代女性だけではないだろう。一昔前ならばいざ知らず、今は男性もお肌のケアをする時代だ。そして取り組みもちょうどあと少しで一か月を迎えようとしている。

まぁもちろんお世辞の可能性もある。でも「肌が綺麗」なんて男同士で出る褒め言葉じゃないよね!?素直に受け取っておく。

 

で、この「素直に受け取る」っていうのが自分の中での大きな変化なんだよね。ここ数年を振り返ると、褒められても素直に受け止められなかったり疑ったりしていた。

きっと自己肯定感が著しく低かったからだと思う。将棋を指しても結果を出せずに悩んだりした。仕事でもうまく立ち回れずに周りに心配&迷惑をかけた。

 

最後に一番嬉しかったのがいつだったか振り返ると、それは大学一年生のときだった。

 

当時所属していた大学将棋部には部内戦というものがあった。それにはレーティングという、勝敗に応じて実力が点数化される制度が組み込まれており、ドラゴンボールスカウターのように実力が数値で概ね測れるものであった。当時私は1600~1700くらいだったかな。将棋俱楽部24より厳しめだったような。で、この部内戦でよく挑んでいた先輩がいた。その人をFとする。

 

その先輩Fとは実力では圧倒的な差があった。レーティングは2100くらい。1学年上の居飛車党で、外道扱いされていた人(なぜ外道と呼ばれていたのかは当時知らなかったが、少しずつ知ることになる。今回は割愛。)だ。終盤の粘りと逆転の芽の残し方が印象的だった。団体戦であんなに熱く将棋を魅せる男を他に知らない。序盤力はよく分からん。

何回も長い持ち時間での対局をけしかけていた。 

 

いつだったろうか。多分3月の春休み。そのFさんに性懲りもなく挑んだ。戦型は中飛車穴熊(私)と糸谷流右玉(Fさん)。

なぜだか忘れた(棋譜がない)が、終盤を競りながらも、穴熊の遠さを活かして勝ち切ることができた。

実は私は入学したときに「今年の12月までにFさんを1回倒そう」なんて思っていたのだが、全然かなわず達成したのは3月になってしまった。それでも嬉しかった。

そのときにそばで見ていた中国人のTさんから「やるじゃん。どうやって勝ったの?」なんて声をかけられたのを覚えている(Fさんが外道だからというのもあるだろう)。

この中国人のTさんは大学の先輩であり同級生の人(察して)。部室での絡みは少なかったけど、よくこんな感じで感想戦に入ってきたな。負けても良い手があったら褒めてくれて、それが精神年齢の幼い俺には嬉しかったりして。

 

こう思うと私が素直に褒め言葉を受け取るようになったのは成長というよりはもとに戻ったというだけなのかもしれない。でもこの変化は嬉しく思う。

 

身に着けた多少の社交性

じゃあ何か成長している部分はないかなーと考えに考え抜いたところ、一つ見つけた。それが社交性である。

社会人として地元に戻ってからは本当に社交性に欠けていたと思う。職場の人たちとの関わりあいを極力減らしてただただ将棋大会に出たり。

飲み会になんて行きたくなかった。大学までで人生が終わったかのような気分。

でも地元に戻ってきて3年目に引っ越してから、一人暮らしを始めてから変わった気がする。一人暮らしを始めて自由な時間が増えた。

これは想像だが、自由な時間が人と会いたいという気持ちを育てたのではないか。「寂しい」なんて思うのは忙しさに追われる現代人にとっては贅沢だが、そんな贅沢を手にしたのだ。

 

そこからはもう人と関わる機会が増えた。増やした。

このブログでも挙げているが、婚活パーティへの参加や友達を自分から誘って遊ぶなど謎の積極性を発揮した。

あとはもうちょっと愛想よく振る舞うだけだね。

 

過去の自分を救うために

さて、最近は私の職場でも新規採用が増えており、別部署だが一緒に仕事をする後輩もいる。で、その後輩氏との接し方に悩んでいる。

その後輩はなかなかに話してくれない。というか、緊張しているのか距離を取っているのか職員とも取引先ともあまり話をしない。その様子から同僚たちからは心配され、取引先からは若干不審がられている。

なんていうか、固いんだよな。彼と話していると間にマツコ・デラックス並に分厚い壁があるような気がする。

 

別にそれは個性だと思うし気にしなくてもいい。やることはやっているし。取引先からは不審がられているわけだし将来的に仕事上で問題が発生しそうな気がする。違う部署なんだから私がどうのこうの言わなくても良いんだけどね。

 

しかし、それでも私が彼を変えるべきなのではないかと思う。最近の彼を見ていて思うのだが、彼は昔の社交性のなかった私によく似ている。ちょっと前の社交性のない私は言葉を選ばず言うならばクソ野郎である。その存在に意味はない。だが、自分がそうだった経験をもとに彼の社交性を開くことができたなら、過去の自分に、クソ野郎だった自分に意味を持たせることができるのではないか。意味が持てればその過去はきっと価値あるものとなる。

彼を助けることが、過去の自分を救うことになるのではないかと思うのだ。

本人としては「社交性なんて求めていない」と言うかもしれないが、本人が求めるものと必要なものは違うと思う。

 

dramadmara.hatenablog.com

 

 

だから彼の社交性を開くべくあれこれやってみたいと思う。

とりあえずは若手職員を集めて飲み会でもやってみるかーと企画中。まずは職員相手から心を開いてもらいたい。

 

オチはない。