正しい年の取り方

人生に迷うアラサー男が年相応になるまでの雑記

農業に補助金は不要と言えるのはお金持ちだけではないか

こんばんは。

 

私には農業者の知り合いがいる。彼は自営業で農業をやって20年くらいの40代だ。親の代から農業をやっており、酸いも甘いも知っている。そんな彼とこの間一緒に飲んでいたのだが、ポロリと不満をこぼされた。

 

「知人に『補助金で、税金で飯食えるんだからいい商売だよな』と言われた。俺は悔しいよ。農業やっているだけでそんな風に言われるのは。」

ネットの世界でもたまに聞く言論だと思う。彼も聞きなれた言葉かもしれないけどそんな言われ方をされていい気分になるわけがない。

でも本当にそうなのかな?実は農業に補助金を付けた方がいいんじゃないかと思ったので今回記事にした。

 

農業に補助金をつけなくなったらどうなるか

さて、ここからは机上の空論も含むのだが、農業に補助金がつかなくなると2つ問題が想定される。それは①農業を続けられなくなる農家が増える②生産物の価格に転嫁されるという2つだ。順に見ていく。

 

①農業を続けられなくなる農家が増える

まず単純に収入が減るので続けることに意味を見出せなくなる農家は増えるに違いない。消費者のみなさんは謎に国産信仰が強いけど、国産は減るかもしれない。

これはまぁ外国産でも何でもいいやっていう人には関係のない話。

②生産物の価格に転嫁される

補助金の意義って価格差の是正だったりハード整備を支援することで生産費を下げることだと思う。要は収益を上乗せしてあげるか生産費を下げることで農産物の消費者への提供価格を抑える役割もある。農業者のためだけではないと思う。

 

仮に補助金をやめてでも農業者が農業を続けるとしたら、下がらない生産費をカバーするために収入(売り上げ)を増やそう⇒販売価格を高くしようという発想になるのではないか。そうなると我々庶民の可処分所得における食費の割合が大きくなる。

もし国産信仰の強い人からしたら単純に負担が大きくなるわけで他人事ではない。

 

 

補助金の財源は知らんが多分貧乏人はそんなに負担していない

そもそも考えてみると貧乏人であればあるほど税金を払っていない。所得税は基本的には累進課税なんだし。

仮に上の②で述べたとおり生産費を価格に転嫁される場合、買う人みんなで負担することになる。貧乏人だろうが金持ちだろうが同じ値段で買うことになる。

だが、現在のように税金で賄っている限り、貧乏人の方が払っている額は小さく、自分の手出しが少ないまま農産物を享受できる。

 

お金持ちのポジショントーク

そう考えるとお金持ちは貧乏人の分も負担して補助金を賄っているわけだから「補助金で食いやがって」と文句が出ても不思議ではない。むしろ補助金が不要と言えるのはお金持ちくらいで、貧乏人は仮に妬んだとしてもそれで自分も得しているんだから文句を言うべきではないと思う。

 

もちろんばら撒き目的の補助金はアカン

農業者に対する補助金を肯定的にとらえてきたが、もちろんばら撒き目的の補助はすべきではない。

そして農業者自身は補助金に頼らない姿勢を目指すべきだとも思う。補助金の額って結局政治で決まってしまうところがあるし。

 

グダグダ言ったが、外野から何を言われようとやるべきことに向かい合っている農業者さんは素敵だ。