正しい年の取り方

人生に迷うアラサー男が年相応になるまでの雑記

その男、Fにつき

こんばんは。

 

昨日の16時頃、将棋道場に行ってきた。最近は土日に県内を転々としてご飯を食べていることもあり、そのついでに指してきた。つまりは特に目的もなくぶらりと寄ったわけだ。

 

先に言っておくと、今回はただの日記になる(ところどころフェイクを入れている)。

 

道場には席主とお客さん数名がいた。その中の一人、N氏という人がいた。60代くらいでおどけた発言が目立つが、その一方で将棋がめっぽう強く、力戦ばかりやっているイメージのある居飛車党。聞いたところによると、生まれたときからシニア戦に出場していたという信じられない棋力の持ち主だ。

対局中であるにも関わらず、気さくにN氏が私に話しかけてくる。生真面目そうな対局相手の青年は盤を凝視している。局面はよく分からないが、N氏にたくさん持ち時間が残っていて、青年側にはあまりないことは分かった。

 

N氏「今日は〇〇さんとか来てないなー。あ!でもアレが来るらしいぞ、アレ、F先生が」

私「え!?あのF先生が!?」

 

F先生とは県将棋界の重鎮である。矢倉を得意とするThis is the 古き良き居飛車党といった感じの男性だ。眼鏡の奥の瞳は将棋界の明日を見据えている。仕事については40代後半ということもあり職場では頼られ、仕事に追われている多忙な人。

ちなみに彼と私には1つ共通点がある。それは無限に将棋を引退することである。何度も何度も何度も私たちは将棋を引退し、そして始めてきた。ただ、私の方が引退した回数が少ないので、彼と同じ世界が見れている自信はない。

 

そんな将棋界の重鎮かつ多忙なF氏がやってくる。

N氏はあまり遅くまで残って将棋を指すことはないのだが、この日はどうも遅くまで残っている。これはF氏を待っているということだったのかもしれない。

 

N氏と青年の将棋は時間切れでN氏が勝利した。時計を切らすのも一流である。感想戦もひょうひょうとこなす姿にN氏の性格が見える。

 

N氏が「この手はさ……」と言いかけたところで引き戸を開ける音がした。不意に感想戦も止まった。その時私はN氏の口元が緩むのを見逃さなかった。いくら察しの悪い私でも分かる。F氏が来たのだ。

 

F氏「うーっす」

N氏「よぉF先生!久しぶりじゃねぇか!」

 

F氏の登場に道場は沸き立った。それはまるで国を救った英雄が凱旋したときのように。県知事が選挙の広報活動で街を練り歩いたときみたいに。

 

F氏はおもむろに私の前に座った。彼はなぜか左手に2020年発行の将棋年間を持っていた。

 

私自身、F氏と会うのは久しぶりということもあり、せっかくなので将棋を教えてもらおうとした。しかし、F氏からは断られた。

 

F氏「俺は相手の実力で指すかどうか決めるんだ」

 

そうだ、思い出した。F氏と指すためには実力が大事なのだ。このやり取りに懐かしさを思い出すとともに、ライブチケットを落としたときのような残念な気持ちに包まれた。

 

F氏「Nさん、指そう」

N氏「ふふっこの青年と指し終わってからだな」

 

N氏はたった今指し終わったばかりの青年との感想戦を辞めたうえで、なおその青年と指し続けようとした。F氏に誘われているのに。

 

F氏「そうか、それなら俺は将棋年鑑棋譜並べでもしていよう。あんたを倒すためのウォーミングアップだ」

 

N氏は鼻から息をこぼすように笑ってから青年の方へと向き直し、ゆっくりと角道を開いた。このやりとりの意味は私にはさっぱり意味が分からなかった。これは予想としては完全に外しているのだが、もしかしたらN氏は調子を整えきったF氏と戦いたい、だから調整のための時間を用意したのではないか。いや、さすがにこれはない。結局理由は分からない。

 

それにしてもF氏が自前の将棋年鑑を黙々と並べる姿にはアマ強豪の風格を感じられた。そもそも将棋年鑑を持ち歩くという行為そのものがアマ強豪であることを示している。スマホか何かと勘違いしているのだろうか。

 

棋譜並べも終わり、N氏と青年の将棋も終わった。終わった後には、始まるべきものがある。F氏は青年の座っていた席にどかっと鎮座した。対局開始だ。

 

居飛車党同士ということもあり、戦型は急戦矢倉に進んだ。ちなみに先ほどの棋譜並べでは急戦矢倉の将棋を並べていた。まさしくN氏をメタった格好となった。

最初は雑談がこぼれていたが、手が進むにつれ、二人とも口数が減っていった。しかし、会話は続いている。一手一手、盤上で語り合っているのである。それは傍から見ている私には分からない世界でもある。誰にも邪魔できないF氏とN氏だけの世界。

 

熱戦を制したのはF氏だった。強豪として名の通っているN氏を倒してしまうなんてやはりアマ強豪。そりゃF氏も強豪なんだから勝つことがあるというのも当然なんだろうけども。私は勝ち切ったF氏にしびれかえった。私だけではなく、その将棋を見ていた者は「やはりF氏は強い」と再認識した。

 

N氏に勝った後は棋譜並べに戻った。

 

その様子を見ていて思ったのだが、棋譜が並ばない。

F氏が「歳だからかな」と漏らした。この人の弱気な発言は初めて耳にしたかもしれない。

 

年齢。

 

この頃、というわけではないが、高齢化著しい将棋界では見知っていた人が亡くなることも多くなってきた。

 

N氏が帰り際「次いつ会えるか分からないからね」といった主旨(だったと思う)の言葉を放ったのは、そういうことも反映されているのかもしれない。人は年齢を重ねていけばいつか死んでしまうし、例えば今日の将棋が最後の一局になってしまうかもしれない。

 

その後、F氏から帰り際に「お前と会うの最後になるかもしれないし、ラーメン行くか」と声をかけられた。全くもって珍しい。誘われることは非常に光栄だったが、断らせてもらった。

 

まるで「これが最後」と約束してしまっているような、一緒に行ってしまったらそれが最後になってしまう、そんな気になってしまったからだ。もちろんそんなつもりはお互いにはないし、次会う機会も普通にあると思う。これはあくまで気持ちの問題なのだが、素直に一緒にラーメンを食べに行く気にはなれなかったのだ。

 

そう思ってしまうのはきっと、ここ数年で色んな人を見送ってきたからだと思う。それは職場の異動だったり退職だったり他にもいろいろ。そんな彼らとの最後の思い出というのは色濃く残っているし、必ずしも消化できているわけではない。

 

今はまだ、最後という言葉がつくものに手を出せないかな。

 

例によってオチはない。