そんなものはない。
こんばんは。今日は何の日かご存知だろうか。クリスマスである。子供の頃はクリスマスイブにサンタの来訪を願い、翌朝歓喜したものだ。「やっぱりサンタさんはいたんだ」とプレゼントを片手に親に報告した経験はないだろうか。
それでも否が応でもサンタが自分のもとに来ないことを理解する日が来てしまう。「良い子にしていないとサンタは何もくれないよ」という言葉は嘘だった。
もっと言うと、社会に出ると、良い子にしていても誰も何もくれないということに気付く。自分のことは自分でなんとかするしかないと気付くことが、大人への第一歩なのかもしれない。そう思うとクリスマスは大人への通過儀礼なのだ。
閑話休題。
ジムの見学に行った後、家でラジオを聞いてから再び出かけた。行き場所はお好み焼き屋。
最近、近所の未開拓の飲食店を訪問するのにハマっている。いや、むしろ義務と化している。今年中にどこまで回れるのか。
ということで今回訪れたのがお好み焼き屋さん。前からあって気になっていたのだが、入りづらさが先行して一人暮らしを始めてからの2年超、一度も行っていなかった。
駐車場には車がそこそこあった。田舎だけど平日でもこの客入りならまだまだ店が続けられそう。ちなみに休日は本当に車でいっぱいである。
店内に入ると煙が体を包む。あぁ、この香りこそがお好み焼き屋なんだなとしみじみと浸る。帰ったらどうやって匂いを落とそうか……という余計なことは考えない。
お好み焼き屋って高く感じちゃうけど、なんでそれでも行くんだろうね。
※一応、客の回転率が悪いとかファミレスより客の収容数が少なくなっちゃうとかで客単価を上げざるを得ないという理屈は分かっている
でもきっとこういう雰囲気や楽しめる時間をお客さんは買っているんだと思う。レジャーランドみたいなモノ。
さて、店員さんに案内されて座ったのだが、向かいの座席には男女グループ、斜向かいの座席には女性グループがいた。……ぼっちは私だけ。よくよく見ると他の座席にも一人で来ているお客さんはいない。今まで何回かお好み焼き屋に行ったけど、あまり一人で食べている人は見たことなかったな。
気を取り直して注文した。豚玉とそばめし。そばめしは店員さんが焼いてくれるので楽でいい。あと、どうせ豚玉を焼いているときに時間が空くのでその間の調整役としても有能。実際、焼き時間を無駄にすることなくそばめし⇒豚玉のリレーが完遂された。
こういうときだけ要領よくやっても仕方ないんだけどな。
やはり鉄板は暖かい。人なんかよりずっと暖かい。むしろ熱い。
まず油をひいて、生地を鉄板にて伸ばす。そして表を5分、裏を5分、ひっくり返してもう5分焼く。めちゃくちゃ分かりやすいのに美味しいってもうこんな卑怯な料理ある??
そうして出来上がったのがこのお好み焼きである(そばめしは写真なし)。
うめえや。うまいけど何か物足りない。
そう、お好み焼きの価格の大部分はこの空間で過ごすことを価値とみなして設定されている。そして、その過ごし方とは一人ではなく複数人を指す。
一人きりで食べるとどうしてもただの割高小麦粉焼きなのだ。
あえてクリスマスにお好み焼きを食べるメリットを探すとすれば、自分が孤独だという状況が把握できることだろう。この時期、なかなか自分一人でデートスポットとかイルミネーションには行けないでしょ。むしろ人の集まる場を避けることで、孤独感に対する認知をゆがめようとする。
その点お好み焼き屋は一人で行くことでお手軽に孤独感を味わえる。人が孤独感を感じるのは部屋で一人きりのときではなく、集団の中で一人きりのときなのだ。
……やっぱり来年は彼女とクリスマスを過ごしたい。