正しい年の取り方

人生に迷うアラサー男が年相応になるまでの雑記

これから「何か」に対して怒る人は増える

たまにはめっちゃ主語の大きいこと言っていい?

ただいま絶賛日本の将来を憂いている。

 

最近怒りが視界に入りやすくなった。Twitterをやっているとなおさら。

こんなに怒りを見せつけられているのは新型コロナウイルスの流行がきっかけである。

流行ってからというものの、人が何かを責めているのをよく見かけた。その対象は政府だったり中国だったり、自粛を要請されている中で外出した人だったり。

 

その怒りが(まがりなりにも、というと失礼だが)きちんと考えたうえで発されているのであれば良いのだが、そういうわけではない。むしろ、脊髄反射的に反応しているだけのものが多い。考えが浅いというより、考えるのを放棄しているように見える。

 

そういった脊髄反射的な発言に影響力があることが怖い。そしてそういった言葉は考えられていない故にとても尖っている。

よく考えられた意見って大体がバランスの取れた意見になってしまっているというか、「良し悪しあるよね」みたいな結論に落ち着きがちで、尖っていない。尖っていないから他人に印象を残しにくい。

 

しかしネットの世界に限らず、尖った意見ほど記憶に残りがちで影響力がある。端的で何を言いたいか秒で伝わるからだ。Twitterなんかだとそんな意見の方が多く出回ってくる(ように感じてしまう)。これ自体は以前からあったことだが、この新型コロナウイルスをきっかけに顕著になった。

 

なぜ脊髄反射的に反応してしまうかと考えると、暇だからなのかなと思う。暇なときって特にネガティブな感情を抱きやすいと思うんだけど、どうだろうか?そのネガティブな感情に引っ張られて理屈より感情が先行しているのではないかと思う。

 

政府が~とか自粛していない人が~と非難している暇は普通ない。忙しかったり自分の尻に火がついていたらその消火で手一杯なはずなんだけど、他人を責める余裕があるうちは暇人だ。

 

今後そういった暇人は増えて多数派になる。なぜならこれから多くの業種で営業自粛だったり在宅勤務が本格化するからだ。みんな家で暇とストレスを抱えることになるだろう。多分、個人事業主をはじめ本気で尻に火がついている人以外は暇とストレスを発散するために考えの抜けた尖った意見を各所で投下しはじめる。

 

この状態がいつまで続くか分からないということが不安を持続させる。しばらくは前述した怒りを目にしてばかりかもしれない。

 

ただ、脊髄反射的に「何か」に対して怒る文化が新型コロナウイルスが収束した後にも続いていたら_習慣として残ってしまったら_それはそれはとても生きにくい世の中になってしまう。

 

やっぱり何か没頭できるものだったり、自分の人生に向き合うフェイズってのが必要なんじゃないかな。

 

例によってオチはない。