正しい年の取り方

人生に迷うアラサー男が年相応になるまでの雑記

YouTubeに動画投稿すんの面白いぜ

こんばんは。

 

最近はブログも書かず、続けていたはずのInstagramも更新が途絶え、自分が何をしているか分からないような状態だ。今それらの代わりにやっているのがYouTubeに動画を投稿することである。

 

ジャンルは伏せるが、編集にかなり時間がかかる分野であり、途中で脱落する者も多いジャンルで動画投稿を行っている。チャンネル登録者数は大体100人だ。

 

今回はYouTubeを続けられた理由を考えていきたい。

 

①動画編集が面白い

作業自体が自分にとって面白いのが良い。作業の中でも特にカット編集という無駄なところを切り取る作業が好きだ。この作業は基本的には頭を使わずできる作業であり、BGMでも聞きながらやっていると心が洗われる。あと、作業が進んでいるのが目に見えて分かるので前進している気分になる。この前に進む感覚というのは今やっている仕事では得ずらいもので、新鮮だ。ゲームのレベルアップみたいな?

あと何を題材にしようか考えるのも楽しい。台本通りに行っても行かなくてもどちらも楽しめる。

②他者と比べなくなった

簡単に不幸せになる方法の一つに「他人と自分を比べる」というものがあると思う。他人と自分を比較し続ければ相手を妬み嫉み、あるいは見下すのが常態化し、人格に歪みが生じうる。というか生じていた。私の人格はいつ真っ直ぐになるか分からないぐらい歪んでいる。

それはさておき、YouTubeでの動画投稿では他人と比較しなくなった。ジャンルの中には競合するアカウントは多いがそれらがほぼ気にならない。その理由はYouTubeアナリティクスにある。

YouTubeアナリティクスとは動画の再生数の推移や視聴維持率、どれだけの人にサムネイルが表示され、そのうちどれだけが再生したか等が分かる、いわばYouTube運営の指針となるものである。自分の動画の傾向が分かるので、チャンネルを伸ばそうと思うならこれを見ながら動画を改善していくべきなのだ。

さて、このアナリティクスを見ているとどうしても比較対象は過去の自分なのである。他人など見ている暇がないのである。ということで他人との比較はしなくなった。

③少しだが、応援してくれる人がいる

これが一番大きいかもしれない。誰か知らないが、大体3人くらいがいつもコメントや高評価を押してくれるのである。高評価がなかったとしても、私は動画投稿を続けることはできるだろう。しかし、あるからこそモチベーションを高く保って投稿を続けることができている。

これらコメントや高評価は素直に受け止めることができる。なぜならばコメントも高評価もする側にとっては得がないからである。例えばInstagramであればいいね回りという文化があり、適当な投稿にいいねを押して回ることで自分のアカウントの露出率を上げることができる。同様の理由でコメントすることもある。しかし、YouTubeではそれらをするメリットがない。例えばただのコメントを見てもその主のチャンネルページまで飛ぶことは相当少ないし、高評価に至っては誰が押したか分からないのである。

ほぼほぼする側にメリットがないのだから打算はない。素直に受け止められるのである。

こういうと恥ずかしいのだが、自分の動画を待ってくれている人たちが少しでもいるというのはそれだけで自信になるというか、嬉しいようなこそばゆいような、不思議な気持ちになれるのである。これは長年忘れていた感覚で、再び出会えたことが嬉しい。

 

とりあえず、続く限りは頑張って週一回投稿していきたい。時間が吸われることが難点だけれども……。

 

例によってオチはない。