こんばんは。
最近、仕事から帰ってからYouTubeを見る時間が増えた。動画を見ていると、Premiumに登録していない私のような者はこう思うことはないだろうか?
「広告が多い」
YouTubeと広告収入は切っても切れない関係だ。そんなこんなで動画の開始前後や途中に挟み込まれるCMを見ることになる(スキップも可能)。
この間からとても気になる広告が動画下に現れるようになった。それが
「不要な広告を非表示に」という言葉とライオンの絵が描かれた広告だ。
これは動画前後に挟まれるCMではなく、動画の下部に一定時間表示される。
私はこの「不要な広告を非表示に」という言葉が優れていると思う。なぜ優れていると思ったのかを記事として残したい。
どんな効能があるかは分かるけど、正体が分からない
まず、気になったのでそもそも何を提供しているのか調べてみた(というより広告のリンクから飛んだ)。
よくよく調べると広告の表示をブロックし、その代わりに広告を出し(???)、そこで発生した収益を一部ユーザーにも還元するというものらしい。
そのビジネスモデルについてはここでは触れないのだが、大事なのは気になってリンクを踏んだことである。なぜ踏んだ?
改めて「不要な広告を非表示に」という言葉を眺めたい。
まず、その言葉自体はその商品(ブラウザと判明した)の効能を謳っている。「これがあればあなたの嫌いな広告は表示されなくなりますよ」と言っている。受け手にとってその商品がどのようなものかを定義している。
基本的に多くの受け手は広告を見たくないという問題があり、それに対して表示しないという解決策を投げかけている。
しかし、このコピーだけを読んでもどんな商品か分からない。この文章だけでブラウザだとは、少なくとも私のようなパソコン初心者には分からない。しょしんしゃ。
だから「え?一体なに?」とリンクを踏んでしまう。
YouTubeという媒体で表示している
動画の途中で広告が入ったら煩わしい。早く続きが見たいのに、遮られてしまう。
ただ、これが動画サイトではなくテキストを読むタイプのサイト(例えばブログなど)だったらどうだろうか?視界に入って邪魔でこそあれ、読めないということはない。広告のせいで進められないということはあまりない。
YouTubeのような動画のサイトでは広告によって直接的に先に進めない状態になってしまう。スキップするにも手間がかかる。
YouTubeを見ているその瞬間が一番「広告なんて要らない」と思っている。この広告コピーは受け手にとって一番必要な状態で訴求している。
砂漠を歩く人に水を売るようなもので、相手の心に響く。結果はどうあれ記憶には残る。
矛盾しているが故の言葉のパワー
そもそも論、この言葉は矛盾を抱えている。言葉単体では何の違和感もないが、これは動画に出てくる広告なのだ。
正直な話、「いやお前自身が不要な広告だろうが」と言いたくなる。
とんでもなく自己矛盾した存在なのだ。だが、それ故に言葉にパワーがある。
「清純派AV女優」という言葉を一度聞いて忘れる人はいない。それは「AV女優なのに清純!?」みたいな矛盾が生み出すパワーによるものだ。これも同じじゃないかな。
ここまで挙げたポイントってInstagramのキャプションの一行目を考える際に使えそう。
例によってオチはない。