正しい年の取り方

人生に迷うアラサー男が年相応になるまでの雑記

何に対して真面目であるべきかというと結果だと思うんですけど周りはそうでもないんですよ

こんばんは。

 

めっちゃ久しぶりにブログを書いている。前回記事の下痢は大分収まり快活な生活を送っている。

 

dramadmara.hatenablog.com

 

さて、久しぶりに筆を執ったのはお仕事についての話をしたかったからである。と言っても特定を避ける意味や情報の保護の観点からぼかしたりフェイクを入れながら書きたいと思う。

 

真面目な奴にはろくな人間がいない。

 

と書くと怒られそうだが、事実そうだと思っている。ただし、上の文は言葉が足りない。正しくは"態度だけ真面目な奴にろくな人間はいない"だ。

 

数ある仕事の一つの中にお客さんと共同で行っている事業がある。それはある商品を創り上げ、それを販売していくというものだ。私は副担当で、主の担当は年上の後輩であるU氏である(当然イニシャルは一致しない)。

分かりにくく書いているが、分かりやすく書いてしまうと特定できる要素がそろってしまう(特定できるとは言っていない)ので申し訳ない。

 

さて、その商品の製作・管理はお客さんの、それについてアドバイスするのは我々の仕事である。

 

その商品だが、最近、というより結構前から管理がずさんだった。このままでは売り物にならない可能性がある。そこで私や他の社員で商品を手直しするというテコ入れを行った。作業は今日で8割方終わった。

 

何とかなったという風に私以外の人間は思っただろうと思う。私は思っていない。どうせ同じようなことは今後発生するだろうなーと思うからである。

 

時間を過去にさかのぼる。この商品を作ることになった6月。

 

主担当のU氏は商品製作の段取りを行っていた。下調べ段階では私も資料を提供したりと手伝っていたが、彼女は私の資料を無視した。それは構わない。実際、私の資料は要点がつかむことを重視した簡素なもので、彼女の用意した資料は細部まで書かれているものだった。詳しいという点では良かった。問題は彼女もお客さんもその資料を読んでいないことである。

 

私は作業が進む中で彼女に確認した。

私「このAという作業はやらなくていいのか?」

U氏「あー、後でやるよう伝えます」

 

結論から言うとやっていなかった。ちなみにこのAという作業は商品の見た目を良くするための工程である。がっくりと肩を落としたのを覚えている。ただ、この時点ではリカバリーが利く状態だったのでまだ問題ではなかった。

 

しかし、この作業をしていなかったおかげで商品の状態は悪くなっていった。商品の完成には時間がかかるうえ放置できる期間があり、そう何度も確認するものでもない。私は7月中旬に確認しにいったとき、あまりの有様に恐怖を感じた。このままではまずい。改めてAという作業を行うよう、その必要性を商品の写真を見せながらU氏に説明した。

 

U氏「分かりました」

 

結局は主担当のU氏がお客さんとの連絡担当である。彼女を通して、お客さんに実行するよう指示するよう伝えた。

 

後日、私は商品を確認しに行った。実行はされていた。ただし、ほんの一部分だけだ。結局はどうにもなっていない。これは恐らくだが、彼女は商品のある場所まで全く足を運んでいない。なぜならば、見ていればこれではダメだと分かるはずだからだ。お客さんにやるよう伝えて、「やった」という言葉を聞いただけ。

 

こちらの言ったことにはハイハイ言うものの、ほぼ実行していない。

 

私は極力手出ししなかった。

よくあるじゃない、仕事のできない奴は人に任せず自分でやろうとするとか。あれを意識した部分は大いにあるし、最悪自分でリカバーできる範囲までは待とうと思っていた。

 

しかし我慢できなくなって、結局は上に書いた通り、手を出した。

 

私は商品の手直しに手を出してしまったが、その後彼女は「後でお客さんに作業をするよう声をかけるつもりで~」と釈明した。私にはそれが言い訳か本心か分からないが、8割がた言い訳だと思っている。

 

やるように言ってもやらない。やってもちゃんと実行できているか確認しない。正直に言って彼女はろくでもない人間だと思っている。

 

ところでなぜ冒頭の"真面目な奴にはろくな人間がいない。"という話につながるのか分からない人もいるだろう。彼女は職場内では真面目な人間として通っているのである。

 

朝早く来ているし、人の指示にはハイハイと返事をする。

大して私は早く来るわけではないし、指示に対して「こうすべきでは?」といった指摘をすることもある。あれ、私の方がダメじゃね?

 

態度が真面目なのは間違いなく良いことなのだけれども、結果に対して真摯でない。そして職場全体がこれをよしとする雰囲気がある。私はこれが大嫌いだ。

 

これは完全に個人的な考えなのだが、頑張っているからといってそれを認めることは良くない。"頑張っているから認める"ではなく"結果が出た場合にのみ頑張りが認められる"べきだと思う。ついでに言うと頑張り自体、認められる必要がないとすら思う。

 

頑張ることの価値が高まると頑張ることが目的になりかねないし、頑張ってない奴はダメという論調にもなりかねない。また、頑張るかどうかではなく、結果を出すことが大事なのだ。

 

これは真面目であることについても同じで、結果を出すために真面目になるべきなのであって真面目であることそれ自体が大事ではないと思う。彼女は商品を良くするための作業については全くやろうとしなかった。結果に対して真面目だっただろうか。

 

でも、職場では頑張ることや真面目であることが重要視されている。どれくらい重要視されているかと言うと自己管理ができずに熱中症で倒れることを「頑張っている」と形容するくらいには重要視されている。

 

そういった風土が嫌いだし、頑張ってさえいればお客さんに対して何してもいいっていうのが気に食わない。

 

怒りにまみれて文章まとまらなかったので投了です。

 

例によってオチはない。