こんばんは。
労働組合をご存知だろうか。
最近仕事でも「ご存じだろうか」という始め方が多いかもしれない。
非常にザックリ言うと労働組合とは労働者のための組織で、賃上げや労働環境の改善を使用者に対して訴えかける。
その労働組合の交渉を見学してきたので、感じたことを話したい。
交渉内容は以下の通りだ。
・時間外勤務の縮減のため人員確保してほしい
・時間外勤務の申請をちゃんとさせてほしい(職場の雰囲気で申請できない場合がある)
・空調の運転時間等職場環境の改善
・他にもあるが忘れた
これらの内容について組合員が自分の見解を交えながら人事課に主張していく。
率直に言うと、交渉と謳ってはいるが交渉とは程遠い、ただの要求の場である。少なくとも交渉学で言うところの交渉ではない。もっとも、主張すること自体は必要なことである。
時間外勤務は極力したくないというのは大方の職員の気持ちだと思う。実際私は全くしたくない。職場環境もそうだ。どんな職員でも教育するのに時間もお金もかかる。貸借対照表には出てこないが、職員は謂わば会社の資産に等しい。そんな資産を雑に扱うのはもったいないと私は思う。
このように私は彼らの言い分に共感していた。
しかし、時間外勤務の申請が雰囲気で出来ないというのは共感できなかった。
実際私の職場でもそのような雰囲気はある。
職員たちはみんな気を使って申請しているのだ。
そのような雰囲気が醸成された背景を少し触れると、私の職場では資格に応じた職能給が与えられる。それが昔は給料の8%とかなり大きい金額だったことから、時間外の分は請求しないというつつましい文化があったのだ。なお、今は定額9,000円/月前後である。
ちなみに若手職員の多くはこの文化については知らない。しかし職場の雰囲気で申請できないということを自然に受け入れている(受け入れるしかない)。上司に対して申し訳ないとかいうことを言ったりもするようになる。
時代背景が異なっても文化として残っているのだが……。
当然新卒ストレートではない転職組からすれば納得できるものではない。学校から会社に直通で上がった人間はその文化に順応できるかもしれないが、一度他の会社で働き、時間外分をもらうことが当然だと思っている転職者としては「何だこれ」と言うところだろう。
このように集団の中での文化に大抵の人は逆らえない。私は割と空気を読まずに申請するが、そのような人間はレアらしい。
「みんなが申請しないから」
「上司に申し訳ないから」
どうしてみんな主語が他人なんだろう。自分がどうしたいのかっていうのが言葉で見えてこない。
どうも他人のせいにしたがっているように見える。これは言い過ぎかもしれないが、人間は弱者である方が幸せなのだ。
忙しければ余裕のある人をやっかむことが出来る。貧乏だったら金持ちに反発できる。このように弱者であれば強者を叩くことができる。しかも自分でコストを支払う(努力する)ことなく、だ。
ところで人間はコントロール欲求を持っている。人は行動により自分の思い通りにできる/したいという欲求だ。コントロールできないと人間はストレスにまみれる。
きっと彼らはコントロールを最初からあきらめている。
コントロールできる/できないの2択で苦しむよりコントロールしないと諦めた方が楽だ。そしてそれが弱者のポジショニングにつながる。
でもそれって、少なくともこの件については情けなくないか?逃げているだけに見える。そもそも雰囲気って誰が作ったんだ?上司も含めて一人一人に聞いたらそれぞれがちゃんと申請すべきと言っている。個としては問題を認識しているのに集団としては違う意見になってしまっているのが非常に不思議だ(この辺は社会心理学などを扱うと理解できるようになるかもしれない)。
本当に問題なのは雰囲気なんかじゃなくて、全員が他人に意見を預けよう、コストやリスクを背負わずにいこうという姿勢なんじゃないか。私は流されたくない。
こんなこと言いつつも、いつかは周りに流されるようになったりするのかなぁ。