正しい年の取り方

人生に迷うアラサー男が年相応になるまでの雑記

他人に見せるかどうかという話

こんばんは。

 

平成最後のハロウィンが終わってもう11月。10月も大して成長できなかったなと思う。10月は心理学系の本(決してアカデミックな内容ではない)を読み漁っていた。雑学的な内容だが。少しずつ身についてきたと思う。11月はさらに社会心理学の勉強をしたい。

 

さて、話は変わってこんな経験はないだろうか。

 

「このテスト、勉強していないからダメだ」とテスト前に宣うクラスメイト。そういうクラスメイトって大体実際の成績が悪い人と良い人がいる。こういうことを言っていても成績の良い人は実際に勉強していても、自分の中での目標レベルに達していないからそう言ってしまうのだ。

 

ただ、成績の悪い人はうまくいかなかった時の保険のためにそのように言う。点数が悪かった時のための言い訳をやる前から作っておく。これをセルフハンディキャップと言う、というのは広く知られている。

 

最近ある知人がこのセルフハンディキャップを駆使して自分の体裁を保っているのを見ていたく感動した。やり方としては下にあるようなことをひたすら言い続ける。

 

「久しぶりに大会出るから、1回でも勝てれば御の字」

「やり切れれば上等」

といった言葉をSNSで披露し周囲からの賛同を得る。そして実際に達成できれば周囲から褒められ、できなければ慰めの言葉をもらえる。

 

ぶっちゃけお手軽にハードルを下げれるやり方で、良いとは思わない。

 

しかし、そうは言っても実は目標を極限まで下げるというやり方は私もやっている。

「今日は大会に出ることが目標!」

「スクワットは1日最低1回!」

ということを自分の中で決めている。

 

こういった最低の目標をクリアすることが継続の第一歩だ。自分で自分を認めてあげることが大事。そのためには自分との約束のレベルを過度に上げないこと。

 

ただ、これを対外的に出すべきではないと思う。いや、Twitterで呟くこともあるけど。

 

このように目標を下げてるのは他者に認めてもらうためではない。自分を統制するためだ。

お手軽な目標をお手軽に達成するまでは良いが、それを他人に認めてもらおうというのは愚の骨頂だ。しかし、それが気持ちいいのも分かる気がする。何せ努力が少なくても認めてもらえるのだから。

 

でもこのやり方で認めててくれる人はどのような人かというと、さしてこちらに興味のない(あるいは知らない)人間。そんな人に認めてもらって何になるのだろう。

 

とりあえずまだ私にはそのような兆候はないが、もしそうなったら努力ができなくなってしまった状態だろう。そうならないように上を見るクセだけはつけていきたい。