正しい年の取り方

人生に迷うアラサー男が年相応になるまでの雑記

自制心を失くしたくないという話

自制心というものをご存じだろうか。自制心とは欲望や感情をコントロールする心の働きで、私が定期的になくしてしまうものの一つだが、これを失くさないためにはどうしたら良いのだろうか。

 

ということで、今回は自分のような自制心のない人に向けた記事となる。

 

なぜ自制心がなくなってしまうのかを考えるにあたって、私が自制心を失くしたときのエピソードを紹介したい。

 

①他の人に仕事を采配する苦労、帰宅時間の遅延により自炊する気がなくなってマクドナルドに駆け込む

②真夜中、ふと寂しくなってマクドナルドにて夜を明かす

③焦りからのこの間のやらかし(このやらかしは大きく、ノーチャンになったと思う)

 

dramadmara.hatenablog.com

 

別に意識してはいないがマクドナルドがはけ口になることが多いようだ。

私は自制心を失う度に無意味、あるいは逆効果なことを行っている。しかし、本来このような無駄は省き、自分の時間をより充実したものにしていくべきなのだ。

 

振り返ってみると全部何かしらのストレスが起因している。食欲、寂しさを引き出しているのは果たして純粋な欲求だけだろうか。いや、違うと思う。自制心はストレスにより摩耗する。

 

逆に見方を変えれば、ストレスを減らせれば自制心を失うことは減るだろう、というのが私の考え。

 

ところで、我々は一体どのようなものからストレスを受けているだろうか。仕事で他の社員が働いてくれないせいで仕事が増える、家族との関係が悪い、給社員との人間関係、趣味の人間関係、ペアーズ上手く行かない……。

 

やたら人間関係を挙げてしまった。

だが、人間関係から受けるストレスは、捉え方と自分を作ることで解決できると考える。具体的には①他者に対する評価軸を拡げること、②自分を環境に合わせて変化させることだ。

 

①他者に対する評価軸を拡げる

人間は評価軸に沿って他人を評価している(自分も自身の評価軸をもとに評価)。この人は真面目ー不真面目とか、イケメンーブサイク、頭が良いー頭が悪いといった評価軸だ。この評価軸が少ないと、要は他者の他の要素が見えなくなってしまう。

例えば真面目ー不真面目という軸しかないと、他者を真面目か不真面目かでしか判断できない。もしその人が不真面目だったら、それだけでもうその人に対しては好意的にはなれない。しかし、別に評価軸があれば他の良い点を見つけられる。それにより多少は好意的になれる、ストレスも軽減されるかもしれない。

 

また、人間は得てして自分の行動は「状況」、他者の行動は「その人の人間性」に原因を求めがちだ。遅刻をしたときだって、自分がしたときは「渋滞だった」、他人がしたときは「彼は時間にルーズなところがあるから」とか言いがちな人って多いんじゃないかな。

 

逆に考えよう。相手の行動にストレスを感じた時にも「その人の人間性」ではなく、状況がそうさせたのだと思うことによってストレスは減る。

経験だが、イベントスタッフとして通行止めをすることが最近あった。ドライバーからの理不尽な罵詈雑言を受けたが、そう思うことで耐えられた。二度とやりたくないけど。

 

②自分を環境に合わせて変化させる

人間、作り上げられた性格というのは変えられないものと思われがちだが、変えられる部分もある。それがパーソナリティ心理学の世界で自由特性と呼ばれるものだ。

例えば内向的な人でも外交的な要素が求められる場(オーディションや商談等)では外交的にふるまうことができる。そのような、自分の目的に沿って変化させられる部分のことを指す。

 

要はその場に合わせた行動を例え性格に反することでも行えば、組織内での軋轢は減るはずだ。と書いてはいるが、私自身まだできていないところだ。

また、自身の性格に反した行動をとり続けるのはそれはそれでストレスのかかることだ。そのための逃げ場を自室でもなんでもいいから用意することも必要だと思う。

 

これらの方法の共通点はストレス源に直接アプローチしないことだ。ストレス源には触れない方がいい。

 

結論としては、自分を変えようという話になる。

 

マクドナルドに駆け込んだり非モテコミットをしないレベルまで自制心を回復させたい。