正しい年の取り方

人生に迷うアラサー男が年相応になるまでの雑記

負け癖から抜け出したい

 

こんばんは。

 

勝負事に限らず負け癖というのは存在するが、どう対処すればいいのか悩んだ経験はないだろうか、私にはある、かなりある。

異性にアプローチしてもうまくいかない、勝負事でも勝てない、苦手な科目のテストでいつまでも赤点を取ってしまう……。思い当たる節はないだろうか?ない方には興味のない話かもしれない。

今回はその一助になればと思って書いた、完全に自分のための記事である。

自分の経験を交えて書きたいと思うところだが、今回は大体想像で書いている。

 

負け癖はなぜダメなのか

それは単純に負けやすくなるからである。ついてしまったが最後、勝負をしない方がマシと言えるくらいに負けまくる。ちょっと言い過ぎたかも。

負け癖が定着するとその物事に挑むのが嫌になる、あるいは惰性で身の入らない形で続けてしまう。

むしろその物事以外についても自信がなくなるかもしれない。人間って大したことないことでもその人にとっては大ごとだったりするでしょ。その大ごとがうまく行っていないんだから他の物事に影響する。

 

なぜ負け癖がつくのか 勝ち癖との比較

負けが負けを呼ぶのは自分の心の中に問題があると考える。「次も負けてしまうかもしれない」「負けたらまた他人からの評価が下がってしまうかもしれない」という風に思ってまっすぐその物事と向かい合えていない。負けることを考えている。率直に言うとマインドセット、当事者の内面に要因がある。

 

一方で勝ち癖という言葉も存在する。負け癖の逆。勝てば勝つほど勝ちを呼び込むことだ。これを身に着けられれば悩むことなんかもないだろう。

だがこの勝ち癖、実は存在しないのではないかと考えている。

存在しないというか、要因の在りかが当事者の内面ではなく外面にあるのではないか。勝ち癖が発揮されるのは他者から評価を受けることで、他者から一目置かれる→上手くいくのだと思う。簡単に例を挙げるとハロー効果だ。

「アイツは強い」「アイツはモテている」「アイツは○○が得意だ」などの評価が当事者に追い風となることが勝ち癖の正体ではないか。

どこかの人が言った「勝ちに不思議の勝ちあれど、負けに不思議の負けなし」という言葉も負け癖の正体がマインドセット、勝ち癖の正体がハロー効果だとすればある程度納得できる。自分のメンタルが負け癖に侵されているのは自覚できるし、ハロー効果は見えないもの。

 

負け癖をつけないためには、ついてしまったら

負け癖ってついたらなかなか抜けない。だからつけないのが最善だろう。

ついてしまった場合にその負け癖の身に着いたものごとから離れるか、むしろ辞めずに食らいつくかは賛否両論あると思う。どっちもありなんだろうけど、「負け」から離れて何かに没頭することが大事。

上でも触れたけど、「次も負けるかもしれない」と思っていてその物事を楽しめるはずがない。加えて自分を俯瞰しすぎているようにも思う。

だから「勝率○%」や「次こそ勝つ」といった勝敗を意識しない目標を持って物事に向かい合えば負け癖から抜けやすくなるのではないか。

 

なーんて将棋ウォーズをやりながら思いましたとさ。