正しい年の取り方

人生に迷うアラサー男が年相応になるまでの雑記

アンパンチは究極の事後対応

アンパンマンという作品をご存じだろうか。私が物心つくころにはテレビで放映されていた作品だ。私が居た保育所ではアンパンマンの放送を多くの園児が心待ちにしていた。

 

話が変わるようだが、私は日本人に問題の先送り癖があるように思えてならない。仕事、家庭、いや、なんだってそうだ。肝心なことには目をつぶってやり過ごす。そういう文化がある。私は、自分だけでもその文化、考え方から逃れられないか思索しているところでもある。

そして、それを助長させているのがアンパンマンではないかと考えたのでこの記事に考えを記す。

 

アンパンマンの基本的なストーリーはこうだ。

 

バイキンマンが街で悪さをする→アンパンマンと衝突→アンパンチでバイキンマンが吹き飛ばされる→平和が訪れる の繰り返し

 

気付いていただけただろうか。

 

バイキンマンは問題を引き起こした元凶である。そしてそれをアンパンチで吹き飛ばす。しかし、次の週にはバイキンマンが再び悪事を働こうと画策する。

 

問題、そしてその元凶であるバイキンマンは何一つ変わっていないのである。アンパンチを食らうことで何か反省しただろうか?心を入れ替えることがあっただろうか?

 

そもそもアンパンチもバイキンマン(問題の元凶)を吹き飛ばしただけ、すなわち先送りしただけではないか。街の平和も一時的なものだ。街のみんなも何を喜んでいるのだろう。来週にはまたバイキンマンが攻め込んでくるのに。

 

この繰り返しを見ていると「我々は幼い頃から問題は先送りすべきだと刷り込まれてきたのではないか」と強く思う次第だ。

 

街の住人も問題で、自衛の策を全く取ろうとしない。アンパンマンの力にゆだねているのだ。心理学的にはこの集団は他者依存型の傾向が強いと考えられる。アンパンマンという事後対応を重視する点とも相似する。

 

また、道徳を伝える作品ではないのだろうが、悪役が諭され改心する場面があったり、せめて悪役が毎回違うぽっと出だったらこんな印象は残らないのかもしれない。そういう意味でも、バイキンマンが常に存在するのが良くないのだろう。

 

 

いや、もちろん分かっている。

 

アンパンマンバイキンマンを悪として捉えていない。だから叩き潰さないしバランスを取ろうとしている。アンパンマンが行っているのは問題の先送りではなくてバイキンマンとのバランスを取ることなんだよね。

 

でもこの違いって小さい子供が見てもわかんないんじゃないかな。

 

いつも通りオチはない。