正しい年の取り方

人生に迷うアラサー男が年相応になるまでの雑記

小中学生は読まないだろうけど

私事たが、最近勉強するようになった。でも昔はそんなことなかったなーと思う。勉強嫌いな子供だった。

今回は小中学生に勉強の意義を説明するとして、自分ならどう教えるかという立場で書く。

 

 

なぜ勉強しなくてはいけないのか。

それは幸福度を上げるためである。生きるからには当然幸せになりたいよね。

 

これだけではもちろん何を言っているか分からない。

私は幸せであるということは何かが楽しくて、そして周りを許せるとても満たされた状態だと考える。

 

そのためには様々な尺度(価値観)を持つことが必要だ。何が自分にとって良いことか測る物差しだ。

 

尺度は多く持っていた方が良い。

例えば仕事がある状態こそが幸せだという尺度だけで生きていると、失業したときに即、幸せではなくなる。でも加えて恋人がいるかどうかが尺度にあれば仕事がなくなっても幸せは維持される。別に恋人じゃなくても良い。趣味に打ち込めるかどうかでも良い。

 

幸せの形はいつでも変動するのだから、幸せを形づくる尺度を増やして幸せを個々人で定義した方が良いはずだ。

 

まとめると、尺度をたくさん持っていると自分で「幸せ」を定義できて、幸せになりやすいという話。「幸せ」に対して常に有効な選択肢を取れる。

 

では尺度を増やすためにすべきことはなんだろうか?

私は勉強して知識を広げることだと考える。ここでやっと標題に立ち返る。

 

モノや人の考えを知れば知るほど尺度は増えて幸せへの選択肢は自動的に増えていく。

そのための下地として勉強が必要だ。知識は少しずつ入ってくるものだが、知識の質が上がれば上がるほど理解するために要求される下地の知識が増える。

 

すごく簡単にした例を挙げると、英語のidentityは日本語に変換すると自己同一性と言ったりするけど、自己同一性って言葉を知らないと意味が分からないよね。

これは英語勉強の下地として日本語の語彙を知っている必要があることを示している。

 

大事なのは広く学ぶことだ。

勉強するときに得意科目を作るのは大事だけど、それに縛られて専門バカになるのも良くない。

だって同じこと繰り返しても尺度は大して増えないから。まぁ同じことを繰り返したがるのは人間の持つ習性なんだけど、それって皆がやりたがること。

 

そうそう、小中学生は自分と周りの違いを認識し始める年頃なんじゃないかな。だから周りと同じように勉強することを嫌がる子も現れ始める。

 

でもよく考えてほしい。

 

勉強したくて勉強している子供なんてそうそういないのだ。皆と一緒がいやなら、マイノリティでいたいなら、尖りたいならばむしろ積極的な姿勢で勉強すれば良い。

そうすれば勝手にマイノリティの仲間入りだ。

 

周りから抜け出して幸せになりたいならば勉強がその近道だと思う。だからぜひ勉強に熱をあげてほしい。

 

だらだら語ったが、私も学びたいことがまだまだある。人生は勉強。