正しい年の取り方

人生に迷うアラサー男が年相応になるまでの雑記

毎日誰かの誕生日なのだから毎日祝日にしてほしい

朝、目覚めると誕生日だった。また、歳を取ってしまったなぁ。実感はない。

慌ただしく部屋を飛び出した。今日は平日最強の関門、月曜日だ。

 

なんとか職場について、メールのチェック。急ぎのメールはなかった。机の脇にあるのは自作のTodoボード。付箋を張り付け今日も頑張ろうと気合いを入れる。

 

今日は事務所の外に出る日。内容は割愛。あんまり役に立たなかった気がするけど、特に問題起きなかったからオーケー(結果主義)。

戻ってきたら電話が何本か入っていたらしく、掛け直す。明日の仕事が急に決まる。

 

そうこうしているうちに終業。

 

家に帰る前にスーパーで今日の晩御飯をそろえる。今日は特別に総菜を買う。どうせだから好きなものを食べよう。今日くらいは豪勢に。1,000円くらい使った。


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豪勢でしょ!ストロングゼロがあるけどお腹が一杯になりそうで飲まなかった。

 

晩御飯以外は普通の日だった。普通に終われたのは良いことなんだけど、誕生日なんだから何か良いことがあってもいいじゃない。誰か女の子が祝ってくれたりさ。

 

でもこれって独りよがりな考え方で、自分以外の人にとっては何も特別なことなんてない日だから当たり前なんだよなぁ。

 

それでも寂しくなって、出先での昼休み、「今日は誕生日」だという旨のツイートをしたところ、何人かリプしてくれた。とても嬉しかった。

 

スマホでメールをチェックすると両親から誕生日を祝われていた。とても嬉しかった。ついでに言うと洋服の青山からも誕生日お祝いメールが来ていた

 

自発的に送ってくれたのが両親と洋服の青山だけだった。昨日の友達も知らなかったわけだし。でもきっとリアルが充実している人はもっといろんな人からおめでとうと言われているんだろうな。

 

でも、そういう人はきっと自分から他人を祝っているんだろう。そう思うと私は両親か、Twitterのフォロワーが誕生日であることを表明したときくらいしか祝っていない。もっと他人を祝おう、ともに喜ぼう、褒めよう。そういうのが足りないから人が寄ってこないし、定着しないんだろう。

 

前も言った気がするが、人を縛り付けられるのは魅力しかない。

 

だから祝ってほしいなんてのはわがままで、祝われる人間にならなくてはいけないのだ。当たり前なんだけどさ。

 

話は変わって、12月1日のことを話す。

その日は実家に帰っていたんだけど、誕生日が近づいてきてるのに自分が何も変わっていないことに気付かされてめちゃくちゃ泣いた。欲しかったものは何も手に入れられていない。

 

1年かかって様々なことをやってきたつもりだったけど、身につけられたと自信を持って言えるのは行動力だけだ

 

・将棋では支部対抗団体戦で準優勝

・レベルの高い人達の集まりに身を投げ込む

・仕事では資格(厳密には資格とは呼ばない)を取得

・色んな女性と出かけるようになった

 

できたのはこれだけ。しかも成果にはつながっていない。成果とは何かと言われると、彼女を作ることである。

 

言い訳がましく聞こえると思うが、ストーリーはあったんだ。

 

将棋で結果を出して卒業(あるいは休学??)し、仕事に専念する。仕事に専念する上で周りからの信用を高めるために資格を取得する。

高い信用のもと仕事に専念することで、得られた自信が異性関係にプラスに働く。そして彼女ができる!

 

といった展開をイメージしていたのだが、そううまくはいかなかった。それもそうかもしれない。これらの取り組みは自分の内面と向き合えていない。

 

それでも甘いかな、本当は自分のことを認めてやりたくて仕方ない。だって1年前の自分はこれらのことができなかったんだから。それでも変わろうとした行動力ぐらいは認めることにする。

 

もしかしたらこれが自信の種なのかもしれない。