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「ラーメン二郎に学ぶ経営学」読書感想文~二郎愛だけは伝わってきた~

こんばんは。

 

今回はラーメン二郎に学ぶ経営学という本を読んだので、その感想を書きたい。

 

二郎と言えば私も学生時代に1回だけだが食べたことがある。研究室の同期4人で向かった。小を注文してなんとか食べきった記憶がある。当時大学生だったから食べきれたのだろうが、今は食べられる気がしない(小食アピール)。

 

大雑把に言うと二郎を題材にして経営学を学ぶ入口になってほしいという意図らしいが、伝わってきたのは二郎への愛ばかりで、これだけでは経営学が理解した気にならなかった。経営学を勉強しなくてはならないと思ったので、ある意味著者の狙い通りだと思う。

 

中身に触れる前に二郎への愛が垣間見れる部分を紹介したい。

 

 なぜ僕は二郎の豚に対峙するとこんな声が聞こえてくるのだろう。僕の頭はおかしいのだろうか。そうではない。*4

 僕たちジロリアンは豚に美味しさという「機能的価値」のみならず「情緒的価値」を感じているから、豚からこのような声が聞こえてくるのだろう。

ラーメン二郎に学ぶ経営学」P92より引用

 

 

*4もっとも大学院で「二郎の豚から声が聞こえるんだ。ホントだよ……」と講義をしたら、学生たちが一瞬絶句した。

ラーメン二郎に学ぶ経営学」P93より引用

 

 

*6二郎インスパイア系の「豚喜」(亀有)にはテーブル席がある。二郎系では珍しくテーブル席があることでファミリー客も多い。子供向けに取り皿も出してくれるので、子供の二郎デビューには最適だと言えるだろう。

ラーメン二郎に学ぶ経営学」P115より引用

 

 

この他にも二郎には行けるときに行っておかなければならない等、現場アイドルオタクみたいなことまで言っていたりと二郎愛が深いことが伝わってくる。てか普通子供に二郎デビュー薦める???

 

閑話休題

 

第1章では二郎と他の業界を比較している。

ラーメンは顧客の好みが多様である一方、牛丼屋やハンバーガーのようなものは顧客側にこだわりはない。そのため前者は顧客の好みに応えることでスケールメリットに関係なく収益を目指せるし、後者は収益を上げられるかどうかはスケールメリットに影響を受ける。ラーメンのような事業を分散型事業という。

 

分散型事業って規模型事業と違ってスケールメリットが影響しない=資本の大小が影響しないから新規開拓するには魅力的なのかなっと思っちゃうけど、そもそも市場の大きさがそれなりにないと選びにくいようにも思える。市場が小さいなかで少ない顧客の要望にこたえる形を取っても売り上げがなかなか立たないよね。ラーメンという市場がある程度大きいから選べるのかな~とか思ったり。

 

第2章では二郎に行く層はどのような人々かを考えている。

市場全体への働きかけとしてコストリーダーシップ戦略と差別化戦略があるが、ラーメンでは先に述べたように顧客の好みが異なるため市場のシェアで1位になるのは難しいため、差別化戦略を取るしかなくなる。

コストリーダーシップ戦略と差別化戦略では市場への働きかけ方が異なる。前者は市場全体に働きかけるのが有効だが、後者はエッジを効かせてターゲット顧客を明確にしなければプロモーションも流通もムダが多くなってしまう。

そのための市場のセグメンテーション(市場を細かく切り取ること)、ターゲティング(対象の選別)を行うことが必要。

二郎が強いのはヘビーユーザーが多いからである。売上は①少数のヘビーユーザーと②多数のライトユーザーからなるが、二郎は①の割合が大きい。

 

つまり、大多数の企業が取るべきは差別化戦略なんだね。どんな書籍見ても差別化差別化って言うけど、その理由が分かった。出来ている企業は少ないと思うけど。

自分の会社の売り上げの構成を知ることって大事だと思っていて、営業とか商品開発にも影響すると思う。営業も新規開拓の数字を追うことだけが大事ということではない。自分の会社の売り上げの構成に合わせた営業の仕方が必要なのではないか。営業したことないけど。

 

第3章では二郎のラーメン界でのポジショニングについて。

二郎はラーメン界でどのようなポジショニングを取っているのか、どのような価値を提供しているか。それを考える際に武蔵や一風堂といったほかの名店と比較したくなるが、これは実はナンセンス。それぞれ提供している価値が異なるからだ。

では二郎の提供価値とは何なのか。それは達成感と爽快感と一体感だ。二郎の豚も山盛りの野菜も麺もそれら情緒的価値を高めている。

二郎は「ラーメン」という枠組みから離れてそれら価値を提供しているから競合しないのだ。

ルールから抜け出せないのは、自分の中でその商品が定義されていないから。

 

小を食べきっただけでも達成感があったなぁと昔を懐かしんでしまった。あれも情緒的価値だったんだ。

機能的価値とか情緒的価値ってググればすぐ出てくるけど、それを読むだけではちゃんとわかっていなかった。だけどこの本を読んで思ったのが、枠の中に収まっているうちは機能的価値の競争から抜け出せないんだろうなということ。

「○○はこうあるべき」という固定観念がある限り、尖れない=差別化できない。そう思うと私たちの提供している商品の多くは、いや、世の中の商品の多くは差別化できていない。差別化戦略をとらなければいけないはずなのにね。

 

第4章ではコアバリューについて。

全てのお客さんの言うことを聞くのではなく、コアとなる重要な顧客の言うことだけに耳を傾けることが求められる。なぜならば①コアな顧客と一見客の扱いが同じだとコア層が不平等感を持つ、②コア層を維持する方が新規顧客を獲得するよりも労力も経費もマシだからだ。コア層の方が売り上げに貢献するからだ。

 

これはもしかしたら恋愛にも通じるのかもしれない。「モテるにはこうあるべき」という論に振り回されず、個性を尖らせるのも大事かもしれない。

以前、モテ男やモテ女に「隠さず自分を出した方が良い」と言われたことがあった。おっ!ポジショントークか?と思っていたが、あれはこのように耳を傾ける相手を選べという意味だったのかもしれない。

 

第5章ではチャネルについて。

二郎の店舗はどれも立地が良くないが、これは製品(ラーメン)自体の力が強いからだ。製品が強ければチャネルは関係ない。製品の力が強いから遠くても行列を作るのだ。ただ、チャネルを全く意識していないわけではなく、店舗はカウンターのみ。どんぶりと向かい合う形で、先に触れた達成感や爽快感、一体感といった情緒的価値を助長させるものとなっている。ターゲット層によってチャネルの在り方も変わる。

 

結局製品に力があればチャネル(場所)なんて関係ないという身もふたもない話だ。金棒がなくても鬼は強い。それでもチャネルは価値の演出に使えるから自分の商品の提供する価値を見定めることが大事なんだろう。

価値とか個性っていうのは勝手に出来上がるものではなく、作り上げるものなのかもしれない。

 

第6章ではプロモーションについて。ここが一番読みどころだと思う。

現代の顧客はAISAS(AはAttention、IはInterest、SはSearch、AはAction、SはShare)という購買プロセスを辿ってモノを買う。通常Aには多大なコストがかかるが、二郎の場合は雑誌やブログからの伝播で十分な流入が得られるため積極的に行う必要がない。

従来は企業→顧客というマーケティングだったが、現代はそれだけではなく顧客→企業や顧客→顧客という流れをくむコミュニティマーケティングが主だ。

二郎はそのボリュームや立体的な豚、そしてそれらへの挑戦というプロセスが顧客に反応された。コミュニティマーケティングが機能している。二郎の店舗数が増え始めたのも、コミュニティマーケティングが軌道に乗ったからだと推測されている。

一般的に現代は情報過多で、顧客は情報を無意識にスルーしてしまう。そんな中でも消費者に反応させるツッコミどころづくりは大切。

 

コミュニティマーケティングって言葉は知らなかったけど、顧客が発信する時代ってのはひしひしと感じていた。8年も前の本なのに状況は変わっていない。二郎が有名なのはそのコアな顧客が熱心に布教しているからだろう。商品だけではなく自分の内面をも映し出すレポートには心を揺さぶられないわけがない。Attentionが上手く行くのも納得だ。この辺のコミュニティマーケティングの話については本書で一番納得がいった。正直、他のパートは都合の良い論拠を寄せ集めたようにも思えたからだ。

 

二郎愛を受け止めるついでに経営学を覗いてみようという読み方がぴったりだと思う。経営学をこれで学ぶことは出来ないが、学んでみようと思わされた本だった。