正しい年の取り方

人生に迷うアラサー男が年相応になるまでの雑記

仕事ができる/できない 仕事をする/しないの区別

こんばんは。

今回は具体例を出せないので非常に抽象的でわかりにくいことを先に言っておく。

 

仕事ができるようにならないとダメだと最近思っているのでこの記事で報告したい。こんな気持ちになるのは新規採用のとき以来かもしれない。

 

そう思い始めたのは職場での業務の割り振りに疑問を感じたからだ。

普通、職場での業務量はどのように割り振られるものだろうか。

 

私は他の社員に対してあれやこれや仕事をお願いする(割り振る)ことがあるのだが、その配分について悩んでいる。別に彼らの上司というわけではないが、そういうポジションだ。とりまとめ役と言えば良いのか。

 

社員は担当エリアを持っている。私が彼らに割り振る案件は全域的に進めるもので、各社員がそれぞれのエリアの顧客に対しその案件を進めることになる。うん、これだけ読んでもまったく意味が分からないね。

 

基本的には何も考えずにそのエリア担当者に仕事を割り振るのだが、それが危険な場合がある。なぜならば仕事ができる/できないという軸で考えた場合、能力に個人差があるからだ。

 

仕事を単純にエリア担当者ごとに割り振って、できない人に多くをやってもらうことになった場合、全体の進行が遅れる。そのため、本来できない人に割り振るべき仕事の一部をできる人にやってもらうよう割り振ることもある。

 

これ自体はいろんな職場であることではないかと思う。

結果、できる人に仕事が集中してしまう。全体の進捗を優先した場合には仕方ないことだと思う(そうならないのがベストではあるが)。

 

しかしである。

ここまでは仕事ができる/できないという評価軸で話してきたが、世の中にはこれと見た目がよく似た軸がある。それが仕事をする/しないという軸だ。

 

仕事ができないのと仕事をしないのでは外からだと見分けがつかない。しかし、後者の方が悪質だ。後者は要は給料は貰っているけど動かないよ、ということなのだから。

 

そして仕事をしない人たちに忖度して仕事を振らなければ振らないほど、仕事ができる人/する人にしわ寄せが向かう。これでは負担感が募るだろう。

そこで、いかに仕事をしない人を動かすかが課題となる。私は3点大事にしていることがある。

 

第一に必要なのは仕事ができない/しないを見抜くことだ。できないのかしないのかを見抜くためには仕事を振る際にギブアンドテイクを目指す交渉をしてみることだ。例えば

「この仕事、私が少し持つので代わりに××を手伝ってもらえませんか?」といった感じだ。

ギブアンドテイクに応じるようであれば少なくとも仕事をしない側の人間ではないことが分かる。

 

第二に仕事をしない人だと見抜いたあとには仕事を頼む際に相手の肩書を使うことだ。

「主任だから○○はできますよね?」といった感じ。

大体の会社では役職が付くものだが、それらをうまく利用してやればいい。子供に「もう5歳でお兄さんなんだから、一人で着替えられるよね?」などと言うのと一緒だ。

なお、目上の人にこのような挑発的な言い回しを使うのは少々勇気がいるが、私は平気で使っている。クソ野郎である。

 

第三に、それでも仕事をしない人がいる場合には言質を取ることも考えなければならない。私は仕事をしなさそうな人には事前に割り振る案件について依頼文を書き、押印してもらっている。

「ハンコを押したんだから、やりますよね?」と先輩に聞く私は本当にただのクソ野郎である(ちなみに、厳密にはそのハンコに強制力がなかった気がするので同時に詐欺師でもある)。

 

まぁこれらは置いておいて。仕事ができない人よりも仕事をしない人の方が大きな問題なのだ。単純に職場のモチベーションにも影響する。

 

ところで、「仕事をしない人」のグループと「仕事ができない人」のグループの積集合って大きいと思うんだけど、

彼らは仕事をしないからできないのか?それとも仕事ができないからしなくなったのだろうか?鶏が先か卵が先か、ではないが気になる点である。ただ、もし後者だとしたら、私は仕事ができないまま、仕事をしないことを良しとするような人間になりたくない。

これが冒頭で触れた仕事ができるようにならないとダメだということにつながる。

 

「仕事ができるようになりたい」という気持ちは新規採用当時は一人前になりたいというポジティブなものだったが、今では半人前にはなりたくないというネガティブなものとなっている。時の流れとともに考えが変わったのを感じた。