正しい年の取り方

人生に迷うアラサー男が年相応になるまでの雑記

前向きにしてもらった話

こんばんは。

次回予告を無視して今日あったことをただただ書かせてもらう。

 

今日は久しぶりに他の事業所の人間と会った。

会社の一部の人間が対象の研修会だった。淡々と研修をこなしていった。

 

昼食は研修会に参加したメンバー全員で食べた。

その中の一人からふと聞かれた。

「最近は○○されているんですか、あと××もやっていましたよね!」

「え……やってないです」と答えてしまった。

最近、自分が好きなことを全然できていないことを知った。ここ数カ月、自分の好きなことに全く触れられていなかった。意識してそうしていたわけではないのに。

 

また、私の後任の方も研修に来ていたので、ついつい仕事のことで話し込んでしまった。上手くやっているようで安心した。逆に引継ぎが上手くなくて迷惑をかけた、とかだと申し訳がNASAすぎる。

お客さんの近況も聞けて良かった。なんていうか、仕事の事を聞いてしまうなんて、前の事業所に未練が残っているのかなあ。

 

研修が終わった後だ。

トイレで横並びになった方から

「新しい生活には慣れたかい?」と声をかけられた。前の事業所で一緒に働いていた人だ。50代で別の課だった人。

職場が変わったのはもう9か月も前なのに……。とも思ったが、それほどの長い間、前の事業所の人とは会っていないということだよな。

「ぼちぼちやってます。新居の生活にも慣れました。」

「君が居なくなってさみしいよ。君は話題性があったからね。」

「さみしい」とはお世辞だと思うが、嬉しかった。話題性という言葉にも裏はないと思いたい。実際、新しいアイディアはちょくちょく仕事に盛り込んでいたし。

沈んでいた気分がよみがえった。

 

思えば今回の事業所では全く良い思い出がない。案件の一つ一つは控えめに言ってクソでへこたれてしまうものばかりだ。心が折れていた。

 

しかし、前の事業所で頑張っていた自分を思い出すことで気持ちが前向きになった。今の事業所で、狭い世界でひたすらクソな案件を見ていると、そればかりに目がいって、自分のことが見えなくなる。自分が好きだったことも手を出せなくなるくらい、クソ案件(しつこい)にばかり目がいき疲弊していた。

 

しかし、それはもうやめよう。もっと自分のことに目を向けよう。

 

そう考えてから、ひたすらストップ安だった自分の価値の下げが一段落した感じ。肩の荷が軽くなった感じ。

明日は明るく過ごせそう。明るく過ごしていれば運がこちらに向くこともあるだろう。頑張りたい。

 

それにしても、たった一言でふさぎ込んでいた気持ちがおさまるなんて、我ながら単純な性格である。

 

例によってオチはない。