正しい年の取り方

人生に迷うアラサー男が年相応になるまでの雑記

知らない人より知っている人の方が疲弊するのはなぜか

こんばんは。

 

どういうわけか、疲弊している。

 

今年から部署も変わって初めての仕事をしている。その仕事はある後輩と一緒に行っている。後輩はその仕事の主務で、仮名をAとしよう。このブログだと誰相手にも大体Aと仮名をつけている気がする。

 

私も似たような仕事はしたことがあるが、勝手が違うので調べながらAに教えている。ときには「これでいいんだっけ?」と思いながら進めることもある。

当然と言うかなんというか、Aは基本的には見ているだけ。入りたてだしそんなもんだろうと思っていた。

ただ、最近見方が変わった。

 

あまり自分で調べようという意欲はないように見られる。言われたことだけこなしていればいいと思っているように見える。

また、何もプラスになる行動をしていない。会議でも何も発言しない。ポジティブな提案をするわけでもなくメモを取るだけ。

 

でも、それだけでは足りない。

ぼかしながら説明するが、お客さんの気質を見るに、ある程度当人らで出来てしまうので、私たちのサポートなしでもプロジェクトは進む。

そうなったときに「君らはもう要らない」と言われる可能性もある。そうなると困るので、お客さんが自分で気付いていない部分の改善をこちらから提案するなどこちらから動く姿勢が必要だ。

ついでに言うとお客さんとの飲み会に来ない。

このお客さんは飲み会に出ないと即付き合いが悪いと判断するし、大事な話は飲み会でポロリとこぼれるから、なおさら飲み会の重要性が高い(これはどうかとも思うけどね)。

 

 

そして一番問題だと思っているのが、一部のお客さんから認知されていないこと。Aの話をしても「Aって誰?」といった反応をするお客さんまでいる。

飲み会とかも来ないし会議でもメモ取っているだけだし存在感は低い。

とまぁ認知されていないからその仕事に関する問い合わせは基本的にはこちらにくるし、それに応えるのはこちら。

 

お客さんからAを知らないと言われたときには金太郎飴のように同じセリフを繰り出すことにしている。

「Aはとても仕事の出来る人間なんですよ!覚えてくださいね!」

この言葉を繰り返す理由は簡単で、自分にだけ仕事が降りかかったら辛いからだ。Aは出来る人間なんだということをアピールすることで矛先(?)が自分に向かないようにしてきたつもり。

これは間違いなく合理的な行動選択だと思っていたんだけど、いよいよ辛くなってきた。これが疲弊の正体か?

 

最近のAの態度から、「ぺにぺにさんより自分の方が仕事ができる」と思っているのが伝わってきたのだ。そりゃ言われる前にこなそうとしてちょくちょく間違う私と言われたことをこなせば100点だと思っている人を後者の基準に合わせて比較すればそう思うのが当然。

 

と言うとひがんでいるようだが、実際にその考え方の方が合理的だとも思う。

試験で100点を取りにいって80点になってしまうより、試験受けない方が合理的。

何もしてなくても責められないのは分かる。「ミスをしたって後で直したり取り返せばいいじゃん」と思ってしまうのがぬるいのも分かる。

 

でも、なんで先回って行動している私が下に見られなければならないのだろう。

これが疲弊の正体だ。合理性を取っているのに楽にはならない上にAからは見下される。

 

仕事に限らず、ものごとってやらないと分からないことが多い。やってみてわかることもあれば、修練度が上がって初めて見えるものもある。

例えば将棋の局面の捉え方だって、初段と四段だと違うでしょ?プロだともっと違うでしょ?

 

もちろん、私も彼と同じかもしれない。

他の仕事では周りが支えてくれたり、先回って行動してくれているから上手く行っているのかもしれない。その物事に対する理解度が低いために、それに気付けていないだけかもしれない。同じように人を疲弊させているかもしれない。

 

物事を正しく捉えていないほど、人は強気になれるのかもしれない。

 

ただ、知らない方が疲弊しないってのは個人的な希望とは相反していてショック。

楽するために知識を得ようとしているつもりなのに、逆で戸惑っている。

 

例によってオチはない。