正しい年の取り方

人生に迷うアラサー男が年相応になるまでの雑記

家庭、仕事以外の居場所を失うこと

こんばんは。

 

「最近の若いもんは……」とはよく聞く話なのだが、これは今を生きていないということではないか?と思うのである。それだけならば別に文句はないが、それに付き合わされると迷惑だと感じる。

 

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そもそも、自分の時間を生きていればそんなことを言ってられなさそうだ。関係のない若者を見てる暇はないし他人の噂話が好きで自分の時間を生きていない私が言うのだから間違っていないだろう。

 

先日、平日の昼間に飲み屋街にいた。住んでいるところの中では栄えている中心地。居酒屋の昼ランチを食べるつもりだったのだ。

良い店がないかブラブラ見ていると、妙に古臭いのれんがかけられたお店を見つけた。おでんや魚料理を出しているらしい。

 

のれんをくぐるとカウンター席がズラリと並んでいた。腰かけていたのは男性二人組とソロの男性が2人。なかなか落ち着いた雰囲気。

さかなフライ定食を注文した。カウンターからは店主が下ごしらえしている様子やショーケースの魚が見える。美味しかったらInstagramに上げようと思った。

 

さかなフライが到着。なぜか付け合わせにバナナが乗っていてユニークな見た目。なおさらInstagramに上げたくなった。食べてみると味は普通。

 

特に問題なく食べ進めていたのだが、ソロのお客さんの言葉でお店の雰囲気が変わった。

「俺の年金が少ないのは若いもんが年金を払わないからだ。」

「最近の若いもんは頭がいいかもしれんが地に足をつけて働いていない。」

「おまけに結婚もしなければ子供もいない。俺は結婚して子供を育てた。」

と大きな声でくだをまいていた。それだけならばまだしも、初老のお客さんに絡み始めた。しまいには絡まれたお客さんに「店主さん、このお客さん何とかしてくれよ。俺関係ないよ。」と言わせてしまう始末。

 

確かに結婚して子供を育てたことは立派だと思うし、働いていたときはすごく大変だったんだろうと思う。しかし、その頑張った成れの果てが居酒屋でくだをまいている姿だとしたら、それはすごく寂しいことだと思う。

仕事も家庭も手に入れ一段落して落ち着いて、最後に残ったのが他者への批判。

最初から何もなかったよりも残酷だ。

 

こうはなりたくないなーと思った。思ったものの、なろうとしてなるものではなく、なってしまうものなのかもしれない。家庭や仕事に集中して時間を投下したあとには何も残っていない。

そうならないために、やはり家庭、仕事以外にも誇れるもの、あるいは居場所が必要なんだと思う。

 

例によってオチはない。