正しい年の取り方

人生に迷うアラサー男が年相応になるまでの雑記

これは誓いであって祝いではない

結婚の報せはいつでも突然だ。

 

今日、会社の先輩が結婚したとの報せが届いた。その場にいた事業所の全員が驚いた。それは決して突然だったからではなく、とても結婚するような人に思えなかったからだ。

 

年齢は47。結婚という2文字からは離れていきそうな年齢でありながらも結婚を成し遂げた。いつもであれば「その年齢でも結婚できるんだ!」「感動した!」と小泉前首相みたいな賞賛を書いて記事を終えるのだが、今回はそうではない。

 

怒りの記録、そして決意表明だ。

 

結婚したと報じられた彼女は私の現在の仕事の前任者である。

私は今の仕事が好きではない。それは内容自体が好きでないことに加え、歪なスタートを切ったからだ。

 

まず、引継ぎはほぼ受けていない。仕事の中身までは触れないが、既存の案件が5~10年続くこの仕事で役立つ記録をほぼ残さず、私にバトンタッチした。いや、引継ぎはあった。「あなたにこの仕事ができるようには思えない」とだけ吐き捨てて去るのが引継ぎと呼べるならば。

 

それだけならば気にしなかったが、彼女は自分のしたい仕事には120%の力を割く人で、それ以外はからっきし手を付けていなかった。彼女が全く手をつけなかったある問題案件の後始末をつけたときは、先の「あなたにこの仕事ができるようには思えない」という言葉の意味が分からなくなっていた。あれは自虐だったのか?でも自虐するなんてタイプじゃない。

 

そんなこんなであまり彼女のことは好意的には思っていない。

 

さて、話は変わるが知人の結婚と同時に減るものってなーんだ?

 

正解はお金。ご祝儀だ。

現在の彼女の事業所の後輩から依頼され、私が事業所内の祝い金を集めることとなった。集めるのは全然いい。大体の相場は決まっており、みんな払うのは5千円と分かりやすい。仕事の延長みたいなもんだ。

 

だが問題は自分が祝い金を払うかどうかだ。

 

これはあくまで想像だが、私に頼んできた後輩はきっと私も出すものだと思って依頼している。さすがに当事者と面識のない人間にさせる仕事ではない。

 

ここで出さないという選択を取るのは世間体を無視するということに他ならない。「お前あいつが結婚したんだぞ?」「祝ってやらないでどうするんだ?」「当然出すよな?」という幻聴が押し寄せてくる。

というか最後の「当然出すよな?」は本当に言われた。どうやら私が生まれ育ったこの国は同調圧力が強いらしい。それに従わない者が憂き目を見る傾向もまた強い。

 

ここで流されてしまうのも、ナチュラルボーン日本人らしさがあって良いのだが、繰り返すと私は彼女に好感を持っていない。厳しい表現をすると、彼女にくれてやる金など一文たりともないのだ。

 

つまり、世間体を大事にすべきという理性的な判断と彼女にお金を渡したくないという気持ちとのせめぎあい。いや、子供っぽいと言われればそこまでなのだが。

嫌いな人間にお金を渡す。そんなことをして、自分を許せるだろうか?

こんなことばかり言っていると自分の幼いところが丸出しで恥ずかしくなってしまうのでこの辺にしておく。

 

書きながら考えたが、やはり支払うことにする。これは誓いだ。

 

お金を支払うことは耐えがたい痛みである。だが、故に忘れられない。彼女が47歳で結婚したという事実は!!俺の胸の中に残る!!5千円札と引き換えにッ!!

彼女の仕事を引き継いだときの苦しみもッ!!怒りもッ!!消えない!!

 

今まで心のどこかで「いつかは結婚できるんじゃないか」なんて甘えていた。

なんなら最近はInstagramにかまけて遊び倒していた(続けるは続けるんだが)。そろそろ目を覚まさなければいけないんじゃないか?

だから30歳までに結婚する。これ自体は近しい知人には伝えていたが、上にあるように怠けていた。

 

そして仕事も言われっぱなしでは終われない!!「あなたにこの仕事ができるようには思えない」なんて二度と言わせない!!問題案件も処理しきってやる。

 

 

自分でもなかなか意味が分からないけど、意志は固まった。

 

例によってオチはない。