正しい年の取り方

人生に迷うアラサー男が年相応になるまでの雑記

憧れと共感って相反している気がする

こんばんは。

 

Instagramをやっているというのはこのブログでも何回か取り上げてきた話だ。どうもフォロワーの伸びが収まりつつあるようで、年内に1,700人に届けばいい方といった雰囲気。

 

最近銭湯によく行くのだが、何が足りないのかを風呂に浸かりながら考えてしまう。思うに、ハッシュタグの選定は悪くない。プロフィールからフォローに至る導線も悪くない。何が悪いかと言うと投稿からプロフィールへ飛ぶ割合である。

お店に言い換えるとお店の広告はお客さんの視界に入るように流しているが、それによって来るお客さんは少ない。新規客は少ないが固定客になりやすいといった感じ。

 

これは広告が目に入ってもお店に行こうとは思われていないということ。つまりお店(自分)にぱっと見で分かる魅力がないということだと思う。

 

そう、魅力がないのである。振り返るとこのアカウントでは参考になる情報を伝えることに特化する代わりに個人のブランディングブランディングという言葉は好きではない)を全て捨てているのである。個人の魅力はない。

 

自分がどういう人間なのか投稿から伝わればプロフィールへのアクセスが増えるのではないかという仮説を立てた。

とりあえずは”らしさ”(Twitterとかで見せている自分らしさ)を出していきたいと思う。

 

さて、実はここまでが前フリである。

よくSNSでファンを作るには憧れや共感が大事だという。先の件から分かるように、今まではそれらを放棄してきたが、これからは少しずつ出していきたい。

 

では憧れとはなんだろうか?共感は分からなくもない。簡単なところではあるあるネタによっても発生するし、もっと深い価値観でも共感することはある。

 

そもそも人に対して憧れるということがないためにこんなことを思っているのかもしれない(あるいは無意識に憧れているのに気づいていないとか)。

 

気になって調べた辞書には「理想とする物事に強く心惹かれること」とある。納得した。理想に欠けているのだ。自分でも思うし他人からも言われるが、考え方が現実的すぎるのだ。だから共感の方は理解できる(自分の周りでも起こったことだから)。

 

憧れは現実から離れたもの、共感とは現実から近いものだと思った。憧れは理解からもっとも遠い感情だと藍染隊長も言っている。

 

では逆に(逆に?)憧れられるようになるには他者から理解されないようなことをすれば良いのではないか。

 

ということで他人が理解できない行動案を考えたい。

 

なんと答えが出ていないところでこの記事は終わるのである。

 

例によってオチはない。