こんばんは。
今日は将棋大会に行ってきたのでその振り返りをしたいと思う。せっかくなので、将棋大会までの準備を含め、書き残しておきたい。
出るかどうかの決断
この大会に出るのを決めたのは4日前。決断がかなり急場になってしまった理由をまず述べる。
この将棋大会はローカルタイトルを懸けた大会の予選となっている。この大会で勝ち進んだ者は、その後2日くらいかけてリーグ戦を行い県名人と三番勝負を行う。
参加するかどうかを決めるうえで重要だったのが、人事異動だった。人事異動があれば当然新しい業務に頭とスケジュールを取られる、2日に渡るリーグ戦なんて指したくもならないからだ。結局は人事異動がなかったということで参加を決めた。
ヤマンザくんからの応援
参加するにあたって不安があった。本当に久しぶりの大会なので自分の力が、自分の今まで指していた戦法が今でも通用するのかという点である。
もともと大して強くもない自分の力がすり減っているのではないか。将棋ソフトを活用した研究により、訳の分からない新戦法がドヤドヤと流行り散らかしているのではないか。
そんな不安でいっぱいだった。非常に恥ずかしいが、素直な気持ちであった。イノセント。
そんな自分を鼓舞するように、私は次のように呟いた。
今度の将棋大会に出れなかったら100回、予選落ちしたら50回ヤマンザくんへの怪文書を書きます
— そでびしゎ (@penipay) 2021年3月24日
私は日々、辛い思いをしながらヤマンザくんへの怪文書をこの世に生み落としている。
普段の怪文書ですら作るのに苦労しているのに、それを50、あるいは100回も書くなんて正気の沙汰ではない。しかし、こうやって自分を縛ることで普段以上の力が出せるのではないかと考えた。
俗にいう制約と誓約とかいうやつだ。多分違うけど。
さて、上の呟きを見たヤマンザくんは熱かりし応援メッセージを送ってくれた。
頼むから出場して予選抜けてくれ https://t.co/SJKDT80w1h
— ヤマンザ子 (@ktykgucci) 2021年3月24日
涙が出そうになった。
今までの人生で、こと将棋に関して他人から応援されたことがあっただろうか。いや、ない。
自分を応援してくれる存在が、ツイッタランドにいたのだ。それも憧れ、尊敬していたヤマンザくんだ。
自分の中で自信が再構築されていく音がした。将棋大会に再び挑んだ自分。応援してくれる存在。戦う勇気が湧いてくる。
自分を応援してくれる人のためにも、絶対大会に出て、最低でも予選突破しなければならないと、強く思った。
気持ちは定まったが、大会への準備は時間がかかった。なにせ、今どんな戦法が流行っているか分からないからである。今、きっと将棋界は魔境だ。そして私は浦島太郎。
そこでオープニングの数手だけはシミュレーションしておいた。具体的には初手からの4手だけは何を指すか決めておいた。さすがに初手に8六歩と指すのが大流行するほどの魔境ではないと思うし、メジャーな出だしだけを頭に入れておいた。
前日、布団に入ってからこの4手のシミュレーションだけを無限に繰り返していたらいつの間にか眠っていた。
会場は動物園だった
大会当日。遅刻せずに到着することができた。会場は地方新聞社の教室スペースだった。懐かしい。昔は毎週のように将棋大会に出ていた。しかし、今となってはコロナウイルスの流行により大会の開催数自体が激減しているらしく、今回のこの大会も将棋ファンにとっては将棋に触れる貴重な機会だったことだろう。
会場の部屋に入ると見渡す限り男・男・男。大体が眼鏡をかけている。そして何やら一般人には伝わらない記号を使って意思疎通していた。
将棋界はこういう世界だった、と思い出すのに時間はかからなかった。そして部屋全体が異様な空気感を醸していた。臭いわけではないんだけど、もわっとしているというか。いや、私も人のことは言えないんだけど。
さて、驚いたのは個性豊かな面々である。
対局前におもむろに腹部を見せだすアマチュアキックボクサー、練習将棋で呪詛のようにダジャレを吐く野生じみたおじじ様。親でも殺されたのかと言いたくなるくらいに対局時計を叩く強者たち。
およそ社会の構成員からかけ離れた行動の数々に、私は本当に新聞社にいるのか分からなくなってしまった。
こんな人たちを相手に将棋を指せるのか。自分が負けずに戦えるのか不安が大きくなった。
半端なところで終わるが、なんと次回に続いてしまうのである。
例によってオチはない。