正しい年の取り方

人生に迷うアラサー男が年相応になるまでの雑記

久々の将棋大会③

こんばんは。

前回の続きで、今回の大会についてはこれが最後になる。

 

dramadmara.hatenablog.com

 

当たりたくない相手と当たった。今回のために用意したとっておきの戦法を採用することにした。

 

それが袖飛車である。正確に言うと後手番の場合の用意ということになる。

今回の大会は後手番のみ戦法を用意し、オープニングの4手を反芻して体に叩き込んできた。76歩34歩と進めて26歩ならば袖飛車、44歩ならば右四間飛車を用意。他の3手目については普段通りの戦法を指す予定だった。

ノマ三を採用しても良かったが、勝っても負けても疲れる点が気になったので今回は指さないつもりだった。

 

袖飛車は大学4年生のときに開拓した戦型。袖飛車にはいろいろな型があるが、相掛かり調の袖飛車が軽く指せて好きだった。これを大学生の彼にぶつけるとき、かつての大学生時代を思い出した。

 

とにかく久しぶりの採用だったが、序盤で技をかけて有利になった。技をかけたといってもソフト的には互角だったらしいが、相手のミスにより形勢はこちらに傾いた。

 

中盤までは徐々に優勢を広げていた。事実、駒得を重ねていた。しかし、相手がヌルヌルと玉を逃がし、様相が変わってきた。終盤戦に入る頃には非常に寄せにくい恰好となっていた。こういったヌルヌルした動きが彼の将棋の強いところというか、負けにくいところだと思う。彼の中段玉は捕まらない。

 

相手玉を寄せる手が見えないし、焦っていた。焦りに焦り、桂馬を拾えれば勝てる局面で2手かけて桂馬を取りに行く手を指した(局面図なくて申し訳ない)。これで勝つなら最強の勝ち方だが、悩んだ末に時間がなくなっていた。

相手はその隙にここでラッシュをかけてきた。前述の通り持ち時間がなく、最善を尽くせない。相手の勝負手の連打に折れ、最終盤は形勢が逆転、時間も負けるという極めて苦しい状況。先ほどの桂馬は拾えてないし、拾う意味もない局面になってしまった。

 

一応逆転の目は残しておこうと考えた。自玉はいづれ受けがなくなる局面。相手の方が時間がある状況。相手は詰めろで迫ってきている。局面は挽回不可能なので、時間を切らすしかないのである。

 

これらの状況から、王手ラッシュを食らわない形、できるだけ詰めろの連続で迫りたくなるような局面を目指した。即詰みの順に気づかれたり発生しては時間で挽回できないから。

 

相手の手や反応がストレートに詰みを狙っているものではないと感じられたのも理由だ。これについては後付けというか、直感的に感じていたことであり対局相手の考えとは一致しないと思う。だが、相手には時間があるので勝ち方として①詰ます、②必至をかける、③相手の時間を切らすという3つのルートがあり、②のルートを選べば③も望めて一石二鳥。なんとなくではあるが、彼は①を選ばない気がしていた。

 

そんなこと考えるより局面を考えろという話だが。

 

最後、自玉は読むのを辞めたくなるくらいダメな局面。局面を諦めて王手ラッシュをした。できるだけ縦横に手の位置を変えながら王手するという工夫(下から王手、右から王手と色んな方向から攻めることで相手の視線が散る)をして少しでも持ち時間を削るように努めた。

 

時計が落ちた。これが効いたのか効いてないのかまでは分かっていないが、時間切れで勝つことができた。将棋で負けて勝負に勝ったのである。

 

dramadmara.hatenablog.com

 

上の記事で将棋指したちのことを動物と形容したが、相手の時間を切らしてでも勝とうとする自分が一番の動物なのではないかと思う。ただただ勝ち負けにこだわる志の低い獣である。

 

私も動物園の一員だった。

 

 

この次の次の決勝で高校生に負けてしまった。負けている将棋を無理やり時間切れで勝ちにするという悪行に対する天罰なのかもしれない。最後に悔しい負け方をしたものの久しぶりに出た将棋大会は楽しかった。今後もコロナウイルスの状況次第で大会の開催回数は減るだろうが、予定が合えば出たい。

 

例によってオチはない。