正しい年の取り方

人生に迷うアラサー男が年相応になるまでの雑記

相手の変化をちゃんと見ること、見ようとすること

なぜ人は相手のことが見えなくなってしまうのだろうか。

 

 

この間高校の旧友に会った。それは近所のすき家で、本当にたまたま。在学時以来初めて会った。私が高校にいたのは10年前になるのでそのまま10年ぶりということだ。

 

背がすらりと高く、清潔感のある男だ。空手部に所属しており、ガタイも良かったと思う。高校卒業時にはどこかの大学に行ったという話しか聞いていなかったが、大学を出たあとには地元に戻ってきていたらしい。彼の名前を山川としよう。もちろん仮名だ。

会ったときにLINEを交換してからちょくちょくやり取りを行っている。

昔はメールアドレスを交換したんだっけ、と妙な感傷に浸ってしまった。

 

山川によると先日、空手部の同窓会が行われたそうだ。なんでも高校OBが現役後輩を指導する会があって、その後にやるという流れだったらしい。

もちろん部というくらいだから山川以外にも参加した(旧)部員がいた。ただ、高校を出てから都市部へと流れた者もいたので、参加したのは6名程度。

山川はこの同窓会に期待していた。

 

山川には高校在学時代に付き合っていた女子がいる。それは空手部マネージャーの女子。名前を仮に中村としておこう。やや身長が小さくも、はっきりとした存在感のある女子だった。どちらかと言うとかわいい系。いや、ちょっと言い過ぎたかも。別にかわいくはない。

 

よくある話なんだけど、大学進学により別々の地域へ離れた二人は別れることとなった。

で、ここからがあまりないことだと思うんだけど、それからずっと10年間山川は中村のことを思い続けて大学時代にも彼女を作らなかったらしい。喧嘩別れしたわけでもないし、あきらめがつかなかった、とは山川の弁である。

山川はもう一度中村とやり直したいと思っている。

 

お、思いが重い……。

切り替えて次に行くべきなんじゃないのか、と思ってしまうのは私が外野だからなんだろうな。山川本人としては中村が一番だったのだ。多分。

 

で、山川が中村に会える数少ないチャンスがこの空手部同窓会だった。数少ない、と書いたのは地元に戻ってきてから0だったわけではないからだ。空手部OBで集まってバーベキューをしたりお祭りに行ったりとなんだかんだ年3回くらい遊んでいるらしい。

 

その度山川はひそかに中村と会えるのを喜んでいた。数少ないアプローチのチャンスなのだから。だがいつも踏み込めなかった。

 

同窓会ではいつも通り(?)山川は中村に少しずつアプローチしていたらしい。どんなアプローチかまではっきり分からないけど踏み込めていないだろうことは推測出来た。

参加者6名の中には山川、中村をはじめ両氏の恩師である当時のコーチなどがいたのだが、そのコーチの発言が嵐を呼ぶことになった。

 

「中村よぉ……今の彼氏とはいつ結婚するんだ?」

 

中村には今付き合っている男性がいた。もう付き合って2年経つのだそう。

山川は中村に交際している人がいることを知らなかった。知らずに成立しているのかしていないのかよく分からないアプローチをしていたのだ。

 

「まぁまぁ上手く行ってるんですけど、結婚に前向きじゃないっていうか……」

 

山川の10年は音を立てて崩れ落ちた。カラオケで一緒に歌ったのも、祭りでたこ焼きをシェアしたのも、彼女の表情に一喜一憂した思い出も全部崩れ落ちた。夢の跡。

とてもショックだったらしく、LINEでの狼狽え方はそれはもう見たことのない表現のオンパレードで、山川に詩のセンスを見出してしまうほどである。今の仕事を辞めて詩人になるべきだ。

 

そこからの山川の荒れようはひどいものだった、とは別の参加者の言葉である。これ以上は本人にも聞くまい。でもこれって相手のことが見えてなかったからじゃないかと思う。

 

冒頭の話に戻る。なぜ我々人間は「相手のことが見えなくなって自分のことばかり考えてしまう」のだろうか。

 

それは相手を知ろうという気がハナから失せているからではないだろうか。自分のことしか考えていないってこと。

今回の山川の件でも、中村を知ろうとしていたら彼氏がいることなんてもっと前に分かっていたはずだ。

 

中村はもう10年前の中村ではない。変わっているのだ。それにも関わらず10年前の中村しか見ていない(見ようとしていない)。その変化を見抜けないってことは相手をちゃんと見ていないということに他ならないのだ。

 

中村と一緒に過ごせて嬉しいという気持ちにとらわれすぎて、相手のことを知ろうとしていない。これでは興味を持っていないというのと大して変わらない。

 

我々は自分の目で今の相手を見て理解していくべきなのだ。