正しい年の取り方

人生に迷うアラサー男が年相応になるまでの雑記

自転車が俺たちにハリボテの青春を見せつけている

今週のお題「わたしと乗り物」

 

 

私と自転車

最近自転車に乗っていない。

よく乗っていたのは大学生のとき。夏には汗をかきながらキャンパスまでペダルを踏んだ。頬をかすめる風は熱くても爽やかだった。

大学キャンパスがあったのは坂道が多い街だった。下り坂を駆け下りるときに感じる風も気持ちよかったものだ。

今思えば原付バイクで通っても良かったと思うのだけども。

 

なーんて自転車に愛着があるように書いているが、そんなことはない。社会人になってからはとんと乗らなくなってしまった。実家にあった自転車はたまに乗っていたが、それも古びて捨ててしまうと、新しく買うこともなく乗らなくなった。そして今に至る。

 

社会人になってからの自転車は特になんの感慨もなく乗る、ただの移動手段だ。大学生のときの爽やかな風は感じない。なんでだろう。

 

大学生のときは自転車を漕いだ先に目的地があった。辛いこと・嫌なこと・楽しいことがあった。将棋大会で惜しい将棋を負けた帰り道、友達と行った花火大会、いつも共にあった。今思えばあの爽やかな風は青春の一要素だった。

 

今や青春の残り香すら残っていない。ちょっと寂しい。

とまぁ何が言いたいかと言うと自転車という乗り物は私にとって青春を象徴するものだということ。

これは果たして私だけなのだろうか?

 

アイドルソングと自転車

話が飛ぶようだが、特にAKB48などの秋元康さん作詞の曲に「自転車」というワードが練りこまれているような気がするのは気のせいだろうか?

多分曲の総数としてはそんなにないんだろうけど(未集計)、有名な曲だと「会いたかった」だろうか。曲の知名度が高くてバイアスがかかっているだけかもしれないけど。

 

作詞秋元康さんではないけど、最近=LOVEの「部活中に目が合うなって思ってたんだ」という曲でも「自転車」を聞いた。

www.youtube.com

 

夢みるアドレセンスの「メロンソーダ」もPVで制服姿の山本さんが自転車をひいているシーンがある。この曲は直接には「自転車」というワードは出てこないのだが、このPVのせいで(?)想像する場面のどこかに自転車が入り込んでいる。

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自転車≒青春

自転車に乗っている年代はおおよそ高校や大学生。この時期が青春だという人は多いはず。そうなると手っ取り早く青春を演出するのに自転車は非常に有効である。

むしろ上の=LOVEの「部活中に目が合うなって思ってたんだ」では「校庭」「水飲み場」などの学生を想起させる言葉のてんこ盛りである。

 

強い日差し照りつける

校庭走る 君を見つけ

「気付いてくれ」神様に願うだけ

 

見てるだけで充分と

思っていた なのになぜか

期待してる 8月の片思い

 

Heart Beat! 水飲み場

Heart Beat! 鉢合わせて

Heart Beat! 戸惑う僕を見て笑う

攻略法どこにも載ってない

 

「部活中に目が合うなって思ってたんだ」

神様のプレゼント

突然のトキメキ

滲んだ(滲んだ)

この汗(この汗)

暑さのせいにしよう

君への返事

頭駆け巡る

奇跡 始まる

 

=LOVE 「部活中に目が合うなって思ったんだ」より抜粋

 

何かと暑さのせいにしたがるのは学生とアイドルだけだと思う。

 

私はそれらの言葉、「自転車」が青春演出装置だと分かっている。その一方でそういった歌詞が好きな自分がいる。否がおうにも青春を思い出してしまうのだ。私だけではないはずだ。

 

ん?確かに私は青春を過ごしていたつもりだが、こんな歌詞みたいな青春は送っていないぞ?あれ?奇跡始まってないんだが???

 

自分でも驚いたが、見たことがないはずの青春を勝手に思い出して嬉しくなってしまっている。

 

僕はいてもたってもいられずに

暗い道を 自転車でただ走る

目的地もないままに

このもどかしさよ 君のもとへ

=LOVE 「部活中に目が合うなって思ったんだ」より抜粋

 

目的地もないままもどかしさを抱えて自転車でただ走った経験はないんだよなぁ。

こういった歌詞から思い出す青春はせめて異性の影くらいあってしかるべきなのだが、私の記憶にはない。それでも曲を聞いてある種のなつかしさを覚えてしまった。

「自転車」というワードを入口にして見たことがない虚像の青春があたかもかつて存在していたかのように感じたのだ。これが聞き手自身の中にあるものではなく作詞家の見せたい世界であるならば、これは作詞家(ex:秋元康さん)と同じ景色を共有していることになるかもしれない。

 

「自転車」というワードが聞き手のビジュアライズを加速させている。過度なビジュアライズがまるで昔の自分の記憶を掘り出したかのような感覚を生み出している。これが先に挙げたなつかしさの正体だと私は考える。

逆に考えると「自転車」という言葉の恐ろしさも感じられる。表現としての力が強すぎるのだ。作詞家の表現力を殺す諸刃の剣かもしれない。

 

「自転車」は呪縛。

 

でもそんな呪縛に囚われていたいと思ってしまう私は青春ゾンビなのかもしれない。

 

例によってオチはない。