こんばんは。
今回は「ヤンキー経済」という本を読んだのでその感想を記したい。
なぜ読もうと思ったかと言うと、以前読んだ「ヤンキーの虎」という本の中で紹介されていたからだ。
この本に登場する「マイルドヤンキー」という言葉は原田氏によって提唱されたもの、そしてそれについて書かれているのがこの「ヤンキー経済」だった。
この本を読んで、自分はマイルドヤンキーではないということ、身の回りに案外マイルドヤンキーが多いということが分かった。と同時にふと気持ちが楽になった。なぜ楽になったかは後で触れる。
マイルドヤンキーとは
さて、ここまでマイルドヤンキーいう言葉を何回も出しているが、マイルドヤンキーとは一体何者か。著者の言葉を借りると次のようになる。
マイルドヤンキーを簡単に説明するなら、「上『京』志向がなく、地元で強固な人間関係と生活基盤を構築し、地元から出たがらない若者たち」のことです。
ヤンキー経済P25より引用
特徴を挙げると以下のようになる。
・地元愛(正確には場所ではなく地縁 血縁)を大事にする
・見知らぬ他人への見栄よりも家族や友達といった身内の人のホスピタリティを優先した消費活動を行う。
・人間関係が中学校区単位で停滞していることが多く、新しい人間関係を構築しようとしない。
・ITに疎い。そのためスマホも持て余しがち。
・赤の他人と同じ空間にいるのが耐えられないため電車を好まない
・今までと同じライフスタイル、人間関係が続くことを望んでいる。
正直言ってただの田舎者では……?と思ったのは内緒だ。
本書の大まかな構成
かつて存在したヤンキーと、その代わりに地方で台頭してきたマイルドヤンキーを比較する形で始まる。
マイルドヤンキーが生まれた背景、つまりヤンキーカルチャーとでも呼ぶべきヤンキー特有の文化が崩れていった理由について述べている。
マイルドヤンキーの特徴をデータや実体験とともに語っている。その存在が見えてきたマイルドヤンキーに対して、どのような商品・サービスを展開すべきか述べている。
そう、別にマイルドヤンキーの提唱だけではなくて、彼らに対してどのような商品・サービスを提供すべきかというのがこの本の大事な論点である。
しかし悲しいかな、私はマイルドヤンキーの特徴にばかり目が行ってしまった。
著者の狙いとしては今まで市場の調査で表に出てこなかったマイルドヤンキーを可視化させてどうターゲットとするか考えてほしかったんだろうけど。
マイルドヤンキー成立の背景
マイルドヤンキーの重要な要素を上げるなら徹底した①地元愛、②現状への満足度の高さである。これらは徹底して地元から出ない姿勢や上昇志向のなさにつながっている。
これら特徴は社会的な要因で出来上がった。
大型モールの進展は地方住民の生活の満足度を向上させたし、デフレやリーマンショックのせいで誰が頑張っても幸せに見えない。
特にデフレやリーマンショックは大きかったんじゃないかな。頑張って進学しても(上京しても)良くならないんだったらそりゃ上昇志向もなくなるよね。結局子供は大人を見て育つ。
そうなれば東京で一旗上げようなどと思わず、地元で気の合う仲間と今まで通りの生活をこれからも続けていけばいい。そうすることで楽に満足度を高められるということだ。そうしてマイルドヤンキーが生まれた。
マイルドヤンキーとのかかわり
さて、私の周りにはマイルドヤンキーが多いのだが、正直合わないと思っている。
マイルドヤンキーを否定したいわけではない。むしろ彼らは日本の低迷している消費に貢献しているし、仲間同士の連帯感も強い。
ただ、私は彼らとは分かり合えないと思う。理由は仲間の定義が違うからだ。
ライフステージが上がっても中学時代の友達と中学時代に遊んだ場所で地続きの生活を送ることが多いマイルドヤンキーにとって、地元や地元友達を捨て、どんどん新しいライフステージに移行し、新しい友達を増やしていく人は、自分たちとは異質で脅威的な存在です。
ところが、ある時点で失敗し、自分たちのライフステージに戻りたいと考えるようになった友達は、自分たちの考えをやっとわかってくれた存在として受け入れます。
「ヤンキー経済」P147より引用
著者の若者研に所属する女性研究員が、就活で失敗してから地元の友達から頻繁に誘われるようになった事例から出た言葉だが、思わず「えぇ……」と声が漏れてしまった。
いや、別に友達が違うライフステージに行ったっていいじゃん。それでも認めてやれよ。むしろ失敗したときに初めて受け入れるっておかしくないか?
彼らにとっては同じところで変わらず自分たちと一緒のライフステージを過ごすことが仲間の定義であって、少年漫画によくあるような「離れ離れになっても、仲間だからな!」的なノリは存在しないのではないか。
別に私がそんなノリを求めているわけではないが、排他的に感じた。
私としては、別にどこに行ったって友達は友達。ライフステージが違ってもいい。
自分たちと違うものを異とする排他性は、田舎で感じる閉塞感と似ている。
ただ、マイルドヤンキーとそれ以外の人たちとのすれ違いが悲しく映ったのも事実だ。
「あいつは変わってしまった」と寂しく思うマイルドヤンキー男子たちと、「あなたたちと私は違うのよ。でも、それを言ってもあなたたちには伝わらない」とやるせない思いに駆られるエリート女子。一体どちらの方が辛いのでしょうか。
「ヤンキー経済」P147より引用
エリートとマイルドヤンキーの「普通」の違いからなるすれ違い。マイルドヤンキーにとっては地元で友達とわいわいするのが普通。エリートにとっては新しい場所で新しい人たちと刺激を受けるのが普通。
何が幸せかは人それぞれということがエリート女子には分かっているからやるせないし、マイルドヤンキー男子は自分たちの生き方こそ幸せだと信じているからそれを理解しないことを寂しく思っている(のだろう)。
で、「変わってしまった」って思われてしまうところが私とマイルドヤンキーが合わないところなんだろうな。私にとっては「変わる」ということはプラスの方向であれば嬉しいことなのだ。嬉しいというポジティブな感情は幸福度につながっていく。
でもマイルドヤンキーにとっては「変わる」こと自体がプラスではない。現状維持こそが尊いからだ。そういった幸福への尺度の違いがあるから分かり合えないんだと思う。
と、このように彼らマイルドヤンキーに対する気持ちを整理できたのが安心につながった。「なんとなく合わない」と思っていたことに対してちゃんと言語化できたのだから。
分かり合えないんだし無理に近づかなくてもいいかなって思った。
最後に
言葉じりから著者はマイルドヤンキーを下に見ているのかなと思った。若干印象操作の気を感じた。気のせいだと思うけどね。
マイルドヤンキーにITに疎いとかマイナス面が多かったからその印象に引っ張られているだけかもしれないけど、そう感じた。
多分第2章のエリート、ギャル、オタク、マイルドヤンキーの分類もそう感じた根っこにあると思う。この2軸はITへの関心、外向性といったものから成っているが、マイルドヤンキーに不利な2軸だった。こういうマトリックス表っていうのは表を作る人次第で軸が変動するから、誰が作ったとしてもそのまま捉える気はない。
例えば幸福度と仲間意識の高さで軸を取ればマイルドヤンキーの立ち位置も変わってくる。ちょっとマイナスの印象が強かったかも。
地方のあるある感もあって楽しく読めた一冊だった。